あの日に帰りたい?


地理@沼津高専

↑のサイトで地域の古い空撮写真を見られることを知った。

自分が育った街の変遷を、新たな発見と記憶とともに綴ってみる。


■1963年
1963.jpg

1963年の空撮だとモノクロで分かりにくい。
中央から下に向かって丘陵地を登っていくことになる。

それにしても池と田畑ばかりでなさらわかりにくい・・・。
一つも興味の持ちようがない画像なのだが、参考までに。

■1975年
1975(1).jpg

①が実家のある地域で1970年代から団地が作られた。
僕が生まれた頃にこちらに引っ越して来たのでどこかに写っているかも。
③は丘陵の頂点付近に建つ大きな病院で当地のランドマーク的な存在だが、
この頃からあったんだな、と。
この病院と学校にまつわる七不思議が小学校時代にはまことしやかに語られていた。
4つか5つまでは共通してるけど、
残り2つぐらいは語り手によってバラバラという雑な七不思議・・・。

何と言っても驚きは②の某宗教団体の施設。
1975年時点ですでにここに存在したのには驚きだ。
オウム真理教みたいな反社会的な団体ではありませんが
山の中にポツンと佇む宗教施設・・・怪しいですね・・・。

この1975年と次の80年の空撮写真が自分にとってすごくレアで新鮮味のある画像。


■1980年(79年?)
1980.jpg

ようやくキレイな空撮写真になってこれだとわかりやすい。
わかりやすさは見ての通り、”山”が切り開かれて宅地造成が始まっているからでもある。
中央に位置している母校の小学校も、校舎が既に完成している。
中学校どころか幼稚園もまだありませんが。
この後1、2年程度で幼稚園・学校がほぼ同時に開設されたと思う。

この頃、4,5歳ぐらいだけど、近所の子たちとこの造成地に遊びに行って
帰りに迷子になりかけたことがある。
家に着いた時はもう午後8時近くで、オカンに激怒された。
上空からの空撮だと一直線で行けそうに見えるけど・・・そう簡単な話ではなかった。


■1985年
1985(1).jpg

1985年、小学校3年生の頃だが、現在に通じる街の形はほぼ出来上がってますね。
80年の画像と見比べると、小学校の校舎もすでに増設されているのが確認できる。
当時はまだ”山”っぽさは残っていたけど。

①が中学校で、宗教施設のそばの②が幼稚園。
当時は丘陵を上に登っていくほど裕福な家が立ち並ぶ印象があって
この新たに開発された〇〇台で家を買うと6000万ぐらいだと
当時の教師が授業中に話していた記憶がある。

③の地域が貯水タンクが備えられた最も高所にあるエリアで
さらに裕福な人々が住むイメージがあった。
”白い悪魔”がこの辺に棲息していることは知っていて、
グリーンスリーブスの曲名を自然に即答したことから
「さてはええとこの子やな」と裕福な家庭コンプを刺激されたわけです。


■2017年
2017.jpg

現在のグーグルマップになりますが
85年頃に残っていた鬱蒼とした雑木林もほとんど消えてしまっている。
ついでに周辺の田んぼも無くなっている。

中学校のそばにあった田畑も宅地に変わっていて
こんなところまで住宅が建て込んでいいのか?って変な気がするぐらい。


空撮写真で振り返るわが街の変遷、いかがだったでしょうか?

それではお別れはこちらの曲で。




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Author:E
数年勤めた会社を辞めて、某資格受験生活に入るも挫折したまま三十路をいくつか超えた無職。いい加減何とかしたいが、まだ何とかなると余裕があったりで、資格の勉強+ケータイ無しの直感のみでせどりする日々。あくまで、息抜き・趣味・リハビリとしてのセドリなので、売上はショボいです。

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