『論語』を読む

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論語  金谷 治訳注  岩波文庫


ついに『論語』を読み始めた。
以前もちょこっとだけ読んでいたんだけど。

『論語』が成立したのは
孔子が亡くなってから200年近く経過した後、
紀元前200年頃、漢の時代のことらしい。

2200年に渡って読み継がれるだけあって、
これまでに数々の注釈書が生まれてきたけど、
中でも”古注”として知られるのが
漢・魏時代の注釈をまとめた『論語集解』で
著者は何晏(かあん)という人物らしい。

漢・魏時代・・・
何(か)という姓・・・

ピンと来られた方はなかなかの三国志マニアでしょう。

漢末の皇后の兄であり、
政治を壟断していた宦官たちの抹殺を図るも
返り討ちにあって殺された大将軍・何進(かしん)。

何晏はあの何進の孫にあたるという。
てっきり一族皆殺しにされたのかと思っていたら、
そうでもなかった。

何晏の母が曹操の妾になったことで
その連れ子として曹操によって養育されたという。

曹操も『孫子』の注釈を書いたことで知られるほど
戦術家としてだけでなく文人としても有名だし、
息子の曹丕や曹植らも教養人として文壇で知られたように
何晏も曹一族の文化的な雰囲気の中で育ったんですね。

後に何晏は政治家としても頭角を現し、
曹爽らと結託して一時は政敵である司馬懿を追い詰めるも
司馬懿のクーデターに遭って処刑された。

『正史・三国志』の魏書にも書かれている、
あの大事件に絡んで最期を迎えたんですね。

そんな何晏だが

相当なナルシストであったとされる。顔には常に白粉を粉飾し(本当に真っ白な肌だったとも)、手鏡を携帯し、自分の顔を見る度にそれに「うっとり」としていたという。歩く際にも、己の影の形を気にしつつ歩んだと伝えられている。また、夏侯玄や司馬師と親しくし、優れた評価を与える一方で、自分自身のことは神に等しい存在だと準えていたという(『魏氏春秋』)


曹家の御曹司らと変わらないように育てられた才人とくれば、
こんな性格になるのも仕方ないことかも。

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