第3回・本当は怖い「遠野物語」再読 


遠野物語といえば座敷童(ザシキワラシ)ですが、
その中でも特に印象に残るエピソードを取り上げてみましょう。

ザシキワラシまた女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門という家には、童女の神二人いませりということを久しく言い伝えたりしが、或る年同じ村の何某という男、町より帰るとて留場の橋のほとりにて見馴れざる二人のよき娘に逢えり。物思わしき様子にて此方へ来たる。お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸の毒に中りて一日のうちに死に絶え、七歳の女の子一人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近きころ病みて失せたり。(遠野物語18話)



住みつくようになればその家は繁栄するとされる座敷童だが、
必ずしも「呪怨」の俊雄クンのような男児ばかりではなく女児の場合もある。

遠野の土淵村・山口の裕福な山口孫左衛門の一家は
毒キノコを食べたことで滅びてしまうのだがそこに座敷童が絡んでいる。

話の様子からはこの事件が起きたのは
1830年~1840年頃、江戸時代の末期だと思われる。

この話は遠野の人々のみならず柳田国男の心をもつかんだようで
さらに掘り下げられてゆく。

孫左衛門が家にては、或る日梨の木のめぐりに見馴れぬ茸のあまた生えたるを、食わんか食うまじきかと男どもの評議してあるを聞きて、最後の代の孫左衛門、食わぬがよしと制したれども、下男の一人がいうには、いかなる茸にても水桶の中に入れて苧殻をもってよくかき廻してのち食えば決して中ることなしとて、一同この言に従い家内ことごとくこれを食いたり。七歳の女の児はその日外に出でて遊びに気を取られ、昼飯を食いに帰ることを忘れしために助かりたり。不意の主人の死去にて人々の動転してある間に、遠き近き親類の人々、或いは生前に貸ありといい、或いは約束ありと称して、家の貨財は味噌の類までも取り去りしかば、この村草分の長者なりしかども、一朝にして跡方もなくなりたり。  (遠野物語19話)



遊びに行って難を逃れた7歳の女児が孫左衛門家の唯一の生き残りだったという。
後に結婚したけど子はなく、孫左衛門の血筋は絶えることに。

この兇変の前にはいろいろの前兆ありき。男ども苅置きたる秣を出すとて三ツ歯の鍬にて掻きまわせしに、大なる蛇を見出したり。これも殺すなと主人が制せしをも聴かずして打ち殺したりしに、その跡より秣の下にいくらともなき蛇ありて、うごめき出でたるを、男ども面白半分にことごとくこれを殺したり。さて取り捨つべきところもなければ、屋敷の外に穴を掘りてこれを埋め、蛇塚を作る。その蛇は簣に何荷ともなくありたりといえり。 (遠野物語20話)



山口孫左衛門一家滅亡の因縁には”蛇”も登場する。
遠野物語拾遺にも家の傍に現れる蛇を殺してはいけないという話がよく出てくるが、
孫左衛門家は禁忌(タブー)に触れてしまったとことが続けて語られる。

右の孫左衛門は村には珍しき学者にて、常に京都より和漢の書を取り寄せて読み耽りたり。少し変人という方なりき。狐と親しくなりて家を富ます術を得んと思い立ち、まず庭の中に稲荷の祠を建て、自身京に上りて正一位の神階を請けて帰り、それよりは日々一枚の油揚を欠かすことなく、手ずから社頭に供えて拝をなせしに、のちには狐馴れて近づけども遁げず。手を延ばしてその首を抑えなどしたりという。村にありし薬師の堂守は、わが仏様は何ものをも供えざれども、孫左衛門の神様よりは御利益ありと、たびたび笑いごとにしたりとなり。  (遠野物語21話)



蛇は殺さないほうがいい、
キノコも食べないほうがいいと止めてみるだけの賢明さはあった当主の孫左衛門本人が
犯してしまっていた禁忌・・・それが”キツネ憑き”

キツネといえば人間を化かすというイメージが古くから馴染みがあるように
「遠野物語」にもキツネが化かすエピソードが数多く取り上げられているが、
キツネを使って呪力を得る”飯綱(いづな)使い”の話もいくつか登場する。

孫左衛門はこれに凝ってしまった、
いわゆる”キツネ憑き”であったと言わんばかりだ。
孫左衛門の血筋はすぐに絶えたので
”キツネ憑き”の家筋とのレッテルは張られなかったが。

地元の神仏を疎かにして、
キツネ様に昂じた挙句がこれだとせせら笑われている。


《座敷童》《蛇殺し》《キツネ憑き》


全てがそろったのだから、
孫左衛門一家は滅びる運命しかなかったという語り草は
いくら何でも酷なように思われる。

ある見解によると
キツネやら犬やらの”つきもの”迷信は
ある村社会に外部から移り住んできた裕福な家筋に対してだけ行われたらしい。
村民の妬みと反感から付き筋として吹聴され、排斥されるというのだ。

山口孫左衛門家の屋敷跡と墓の”石”だけは
いまでも遠野の田畑の中にポツンと残されているらしい。

それがまた「遠野物語」の恐怖を現代においても甦らせるかのように。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

E

Author:E

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
検索フォーム
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる