危険な作家の思考に触れる

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葉隠入門 三島由紀夫 新潮文庫


ああついに手を出してしまった・・・。
三島由紀夫に。

三島由紀夫ってどんなイメージを持たれているのだろう?

僕の中でも世間一般の方とそう大差のない危険人物のイメージだった。

はるか昔に「仮面の告白」ぐらいは読んだことがあったけど
その時点ですでにサドマゾの危険な香りを漂わせていたし、
僕が生まれる前に起こったあの「事件」のこともあって
まわれ右してそれ以上は立ち入る必要もない作家だった。


「葉隠」をよく読んだことのない人は、いまだに、
この本に忌まわしいファナティックなイメージを持っている。


「葉隠」がそのようなイメージを持たれると同様に、
三島由紀夫自身もファナティック(fanatic)なイメージを持たれている。
(少なくとも僕は持っている)

そんなファナティック同士のシナジーが働いて、
あの事件を引き起こしたのかと納得させられる。
三島由紀夫の思考や行動がよくわかる本なのだ。

読んでみると「葉隠」及び三島由紀夫に共鳴するところも確かにある。
しかし何だかなあ・・・という反感も禁じ得ない。


”武士道といふは、死ぬ事と見附けたり”


これが最大の問題なんですよね・・・。

死ぬことを目的化してしまったこと。
人間はいずれ死に至るんだから目的と言えば目的だろうけど、
ここに脳が発達しすぎた人間ならではの論理的倒錯、言葉の意味のズレがあると思う。

実際のところ、戦国時代までのの武士なんて
生き延びるためには何でもやるような連中であって、
死をも恐れないというのはあるだろうけど、
死ぬことが目的なんて絶対ないと思う。

「葉隠」にあるのはすっかり平和な江戸時代の、
佐賀というあるローカル藩に生まれた特殊な武士像だろう。
(上方武士に対する反感も述べられている)

三島由紀夫はあの時代にあって、
日本の文学が日本語という閉ざされた言語表現の世界でしかないことをすごく意識していながら、
死を目的化するニヒリズムこそ日本文化の真髄としてしまったことが
三島由紀夫をあの事件に走らせた矛盾なのかな。
死が目的からさらに手段へと変わってゆくのにはまた原因があるのだろうけど。

結局は「やっぱりジャップはクレイジーだ!」が繰り返されることになる、
何ともやりきれなさが残る一冊だった。

三島由紀夫はしっかりとした知識といい思考といい、
それでいてすごく弁も立って
作品を生み出す偉大と呼ばれる作家はこうでなければ・・・と思ったけど、
いまだにうるさ型も多いからこれ以上深入りすることはないだろう(笑)



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