名前を考える時、人は悩むもの


目にした時にはフェイク・ニュースのように感じましたね。

コービー・ブライアント氏が墜落死 元NBAスーパースター ヘリコプター同乗の娘ら8人も

NBAのスーパースターだったコービー・ブライアント氏(元レーカーズ)が26日の米西部時間午前10時ごろ、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のカラバサスでヘリコプター墜落事故により死去した。41歳。搭乗していた9人全員が死亡し、コービーの13歳の娘ジアナさんも含まれていた。


NBA門外漢の僕でも名前を知ってる最後の選手だろう。

まさにその名前の由来に興味を引かれた。


Kobe Bean Bryant


Kobe?
神戸??

てっきりその両親が神戸市に縁があるのかなと思っていたんだけど
これが全く関係ないというから驚き。

彼の名前“Kobe”は、父ジョーのお気に入りだったアメリカの鉄板焼きレストラン「Kobe Steak House(神戸ステーキハウス)」に妻と行った際、“KOBE” (神戸)の名前の由来を店主に聞いた事をきっかけに、両親が名前を気に入って付けたものである[4][5]。



神戸市ではなく神戸牛からのkobeだった。

アメリカのステーキレストランであって、
神戸市に来たわけでもなんでもない。

神戸牛も神戸市に関わりはあるけど、
それはあくまで間接的なつながりにすぎなかったのだ。

何かに名前をつけることって案外悩むものだ。
RPGゲームでキャラに名前をつけたりする時とか。

名前をどうしようかと悩んでいる際に
たまたま訪れたレストランの店名やメニュー表のkobeという文字に
何らかのインスピレーションがビビッ!と働くというのもわからなくもない。

僕もAmazonのアカウント名を何にしようかと考えていた時、
たまたまそこにあったシャーロックホームズの洋書ペーパーバックの
裏表紙に掲載されていた英文の一部にあたる単語3つをつなげた無意味なものだった。

適当に選んだわりにはなかなか良いアカウント名だと自己満足して、
違和感なくずっと使い続けてきたのだから。

思われているほどわかってないものだ


ham_20200125152109e43.jpg



昨夜のこの3回アクセスした方は誰?
これべーやん?違うの??

プロバイダは同じなんだけど、
ディスプレイが27インチなんですよね。

2日前にもアクセスがあるから、
べーやんのような気もするんだけど・・・。

今までおそらくべーやんだろうなと認識しているのは
同一プロバイダで

・液晶モニタ(21インチ)
・ノートPC
・タブレット端末
・スマートフォン

以上の4種なんだけど・・・。
あのプロポーズ記事に3回アクセスしたのが
べーやん以外の誰かだとしたら実に紛らわしすぎる(笑)

もしべーやんだとしたら、
今日か明日にでももう一度、3回アクセスしてくれないか?


なんかね、
勝手に僕がわかるだろうと思われているほど
わからないもんですよ。

アクセス解析の設置が間違っているのか、
検索から入られても検索ワードやリンクが表示されなかったり、
ディスプレイの表示が出ないこともあったりで。

超過疎ブログでも
べーやんと同一プロバイダで明らかに別人な人も
たまに来ることがあるからね。

プロポーズ大作戦!リバイバル



浜辺美波さん


まだお会いしたこともないし、
ブログでこんなことを済ますのは相変わらずどうかと思うけど。


浜辺さんのことが実は好きなんだなあ。

プライベートでB型女優らしさを控えめにしてくれたら
残りの人生でずっと愛せそうな予感がしてならない。


ちょっと歳は離れすぎていて
髪も職もなかったりするけど
僕と結婚してくれませんか?

センター試験と震災・・・逆になった


今日で阪神大震災から25年目か。
僕も歳とるわけですね。

何回もこのブログに書いたけど
浪人してセンター試験が無事に終わって、
自己採点して「こんなに取っちゃっていいの?」ぐらいな気分になって
久々に安眠していた朝方の、まだ暗い中での突然の揺れでしたからね。

大阪は震度4で済んだけど
あの激しい揺れはちょっと忘れらない。


そして明日がいよいよ最後となるセンター試験。
センター試験30年の歴史に幕を閉じることになる。

受験生だった頃はひたすら嫌な思いしかありませんでしたけどね。

だってセンター試験って平均点でも7割近くですからね。
つまり正解して当然、間違えば地獄行きの試験なんですよ。
さらにマーク・ミスの恐怖がつきまとう。

いかにも間違いを嫌う日本的な、
官僚らしい性質の試験ではないでしょうか。

間違って当然、そこからいかに伸ばせるか的な、
平均点5割~6割ぐらいの試験のほうが
まだ自分の性には合ってたかな。


受験生がこんなブログ見てるわけないと思うけど、
明日のセンター試験が泣いても笑っても最後だから(笑)

今回のセンター試験で失敗すると
来年から大学入学共通テストなんて
「なんじゃそりゃ?」って名称のテストに変わってしまうから。

今までのセンター試験の傾向や対策が
基本的には役に立たなくなってしまうわけだ。

つまり、浪人しても現役生に対してメリットもなく、
新しい試験に対しては平等のスタートラインに立ち、
むしろ1歳でも歳を食ってる分、
新たなる未知のものへの対応という点では不利とも言える。

だから明日のセンター試験は失敗できません。
失敗したら人生終わりかもしれない。

今から震えながら試験に臨んでほしい(笑)



あの頃のF1グランプリを思い出す その4


F1グランプリがブームだった1990年頃の記憶を雑記的に紹介したい。
セナの死だとかHONDAの撤退等はここでは触れないが。


①ナニーニのヘリコプター墜落事故



ベネトン・チームのドライバーだったアレッサンドロ・ナニーニが
1990年のシーズン中にヘリコプターの墜落事故に遭い、
手首を切断する重傷を負った。

ナニーニはこの事故でF1ドライバー生命を絶たれてしまったんだけど
これには非常にビックリしましたね・・・。

事故の痛ましさもさることながら、
プライベートでヘリコプターに乗るということが
日本の富裕層だとあまりないですよね。そういった事故も。

ヨーロッパのリッチ層はヘリコプターを使うという、
文化の違いに中学生時分の僕はさらに驚かされたわけだ。


②フェラーリ・エンジン出火


昔のF1マシンは信頼性が乏しくて、
フェラーリに限らず頻繁にエンジンから出火したり、
出火に至らずともブローして煙がブワッと吹き出す映像を
よく目の当たりにしたような気がする。

そしてマシンを降りてピットへと駆け戻るマンセルの姿・・・。
マンセル以外もそうだったと思うけど(笑)

当時はレース途中でマシントラブルによるリタイアが多くて、
1レースで10台少々しか完走出来ないことがザラだったと思う。

あるサイトで完走率の比較を見たら、
1990年頃は低くて40%台で、
現在は80%を超えているらしい(笑)

中嶋悟の”納豆走法”にも価値があったんですよ。
(※粘って粘って完走を目指す)

そういえば、最近はエンジンとも呼ばずに
エンジン回りのシステムひっくるめてパワーユニットって呼ぶらしい。


タイヤ交換作業


比較対象は1981年だが
ピットのタイヤ交換の作業時間が格段に進化している。

1990年頃でもピット作業が一番早かったのはフェラーリで
それでも6秒はかかっていた。

それが今では2秒(笑)


④プラモデル


こうやって昔のF1の動画を眺めてたら、
プラモデルが欲しくなって来たりしないか?

そう思ってAmazonで探してみても、無い!

あの頃、近所のプラモ屋に普通に置いてあった、
F1カーのプラモデルというものがほとんど販売されてない。
これが時代の趨勢なのか・・・。

買っても完成品を置く場所もないし、
そもそも作る気力があるのかすら怪しいけど。

昔はマクラーレンもフェラーリもウィリアムズも
持ってたんですけどね。

あの頃のF1グランプリを思い出す その3


日本のF1ブームに興じていた頃は
F1のハイテク化が始まった時代でもあった。

1990年に中嶋悟が移籍したティレルが、
シーズン途中に投入したハイノーズ&吊り下げ式フロントウイング





F1に6輪車を投入した過去もあるし、
優勝に絡むことはまずなさそうなティレルだけに
変わったことするなあぐらいに思っていたんだけど。

こんな奇抜な発想が
以後のF1マシンのトレンドを作るとは思いもしなかった。

このように”空力”(エアロダイナミクス)のとらえ方に
進歩が生まれた時代だったんです。


そしてハイノーズ以上に脅威的なハイテク導入となったのが
ウイリアムズ・ルノーが採用したアクティブサスペンション



機械オンチの私が説明すると
状況に応じてコンピュータでサスペンションを自動調節することで
レース走行中のマシンの制動を安定化させることに寄与する。

アクティブサスペンションを始めとするハイテク装置を盛り込んだウイリアムズFW14Bによって
ナイジェル・マンセルが1992年シーズン16戦で9勝も挙げてしまい、ワールド・チャンピオン獲得。

そういえばウイリアムズが強くなりすぎて
F1が面白くなくなってきたの思い出した(笑)

翌93年シーズンも、一度引退していたプロストがウイリアムズに復帰して、
全16戦で7勝を挙げてチャンピオンに。

セナ・ファンにとってこれは非常に面白くないですね。


ウイリアムズのマシンに乗らないと勝てない風潮


そしてようやく94年シーズンにアイルトン・セナがウイリアムズに移籍することになったのだが、
ここで強すぎるウイリアムズのせいでハイテク機器に規制発動!





アクティブサスペンション等を失ったウイリアムズFW16は
こうやって今確認すると、時々不安定な挙動を見せていたんだなと。


空力とハイテク化の始まりであった90年代のF1グランプリを
wikipediaに依存しながら振り返ってみた。


当時からは格段の進化を遂げた現在のフェラーリのF1マシンの制動。



90年当時だとそのままスリップしたり、すっ飛んで行きそうだ。
見た目はイマイチだけど。

あの頃のF1グランプリを思い出す その2


F1ブームの頃、
バブル経済の真っただ中でもあって、
数多くの日本の有名企業がスポンサーについていた。

F1グランプリ中継は日曜深夜1時からの放送にも関わらず、
豪勢なCMが流れていた。

そんな当時の懐かしいF1関連CMを振り返ってみたい。


昭和シェル石油のCMはアイルトン・セナが登場。

親会社だったロイヤル・ダッチ・シェルが
マクラーレン・ホンダにガソリンとオイルを供給していたので
マシンにも黄色のロゴが燦然と輝いていた。

多忙なセナ様に配慮してか、
CM自体はシンプルというかあまり作り込んでない。



われらが中嶋悟。
そして中嶋悟といえばEPSON。
中嶋行くところ、EPSONのロゴあり。

EPSONは当時日本のパソコンシェアNo.1を誇っていた、
NECのPC98の互換機を販売していたメーカーであり、
ノートPCにも力を入れていた。

流れる曲も少し話題になっていたけど
当時一番好きなCMでしたね。



デキるビジネスパースンは皆持っている”ダイナブック”。

当時、EPSONらとノートPC市場で熾烈な競争を繰り広げていた東芝が
起用したのは鈴木亜久里だった。
インターナショナルなイメージを意識したCM。

ノートパソコンという表現は日本国内限定の表現で、
海外ではラップトップ(Laptop)と呼ぶのが普通らしい。
lapが膝で膝の上に乗せるということから。

日本でも昔はラップトップという表現もあったけど、
ノートパソコンの呼び名が普及した。
かつてはノートとは思えない重量ではあったが、
名称としてはノートPCのほうが断然よい。

英語だとnotebookまで言わないと通じないから
仕方ないんだろうけど。



結局のところ何のCMなのか、
当時はわかりそうでわからなかったけど、
現在はほぼ標準装備化したカーナビの走りってことでよかったのか?

パイオニアがフェラーリのスポンサーだったことから、
91年シーズンはフェラーリに移籍したジャン・アレジが登場。

当時のF1ドライバーとしては人気・知名度抜群だったアレジだが、
F1では通算で1回しか優勝しなかったという驚きの事実。



1990年度、中嶋悟が移籍した先がティレル・チームで、
第2戦のアメリカGPで同僚のジャン・アレジが非力なマシンながら、
アイルトン・セナと白熱のバトルを繰り広げたことで
一躍注目を浴びる・・・もスポンサーは集まらなかった。
車体にもスポンサー企業ロゴがほとんどなくて無地の部分が多く、
何となく寂しげであった。

そんな中でEPSONとともに目立っていたのが、
ニコス・日本信販だ。

柴田恭兵とラジコンで戯れているのが
ティレル・チームのオーナー、ケン・ティレル。

僕もマクラーレンの次に好きだったのが、
やはりこのティレルで
ティレル・チームのスタッフが着ていた夏用のシャツ。

tyrrell.jpg

中学生当時、これが欲しくて欲しくて(笑)

フェラーリの真っ黄色のも、
マクラーレンのマールボロカラーのも欲しいと思わない。
ティレルのシャツが何故か欲しくて仕方なかった。
(紺一色のジャンパーは要らないけど)

多分、権利料なんかが入るから高くて3000円~4000円ぐらいで
どこかに売ってるんじゃないかと探してたぐらい。

tyrrell2.jpg

現在、オークション等で出回ってるものがあるみたいだけど、
結局のところ市販はされなかったのだろうか?

あの頃のF1グランプリを思い出す



F1解説者・今宮純氏が死去、70歳 セナ事故死の際も解説

かつて日本にF1ブームをもたらした功労者の一人である今宮純さんが亡くなった。
当時、中学生の僕も好きだったF1中継に欠かせない解説者でした。

アイルトン・セナや中嶋悟にHONDAが大活躍し、
世はバブル経済の真っただ中にあって 日本の名だたる大企業もスポンサー参戦し、
日曜深夜に放送されるF1グランプリ中継は 今思うと異様な盛り上がりを見せていた。

そんな懐かしのF1グランプリ、
思い出の場面を振り返ってみたい。

まずはオープニングから(笑)

F1 89 01 OP CG

F1中継オープニング といえば
やっぱ89年のこれなんですよね。

ベネトン・カラーやレイトンハウスが懐かしい。
そしてF1グランプリには欠かせないT-SQUAREの”Truth”。

89年でこのセンスはなかなかでしょう。
CGでおそらくかなりお金かかってると思う。

F1総集編1989【Rd15日本】


89年の日本グランプリ。
前年に引き続き、セナvsプロストのマクラーレン・ホンダ同士による因縁の対決。
そしてシケインでのまさかの接触。

89年はまだCAMELイエローのロータスだった中嶋悟は
翌年から吊り下げ式フロントウイングの元祖ティレルに。

ちなみに時々、切り替わる実況が古館伊知郎で、解説が今宮純だ。

・・・残念なことにこのブログ上では動画再生できないときた。


1990 F1GP 15 日本(鈴鹿) 予選2日目 アイルトン・セナ2回目HD

たまに見てしまう90年日本グランプリの予選。

フェラーリに移籍してはっきり敵となったプロストが、
プレッシャーをかけるようにセナの後ろにぴったり付いて、
ピットレーンから出てゆく。

予選から火花が飛んでますね。
今見てもすごく面白い(笑)


1990 F1鈴鹿GP(フジテレビ)

日本人ドライバーといえば中嶋悟だったが、
鈴木亜久里もF1に参戦してきた。

落ち着いてやや寡黙な中嶋に対して、
鼻っ柱が強くてビッグマウスな鈴木亜久里が
当初はどうも好きになれなかった。

しかし1990年の日本グランプリ、
鈴鹿で日本人初の3位表彰台に上ったことで
見直してしまいましたね。
当時まだ中学生ながら上から目線で申し訳ないですけど(笑)

アイルトン・セナ 神ががりの予選ラップinモナコ オンボード映像

”モナコ・マイスター”の異名を持つほど、
市街地で開催される伝統のモナコ・グランプリに強かったセナ。

まるでアニメかゲームのように攻めてますね。


1994年サンマリノGP アイルトン・セナ クラッシュ 3

第3戦・サンマリノGPの高速コーナーで曲がり切れず、
障壁に衝突死してしまったアイルトン・セナ。

94年はウイリアムズ・ルノーに移籍したものの、
マシンが不調でリタイアが続く一方、
ミハエル・シューマッハの台頭に、
いらつきと焦りがあったように感じられた。

この頃は僕も高校を卒業して浪人生の身で、
F1中継から離れつつあったけど、
セナの死によってF1を見なくなってしまった。

この中継は見ていて覚えているけど、
僕の中では今宮純もこの頃の姿で止まったままだ。


このブログ上では再生できない動画ばかりでしたが、
F1の思い出を振り返ってみました。


乗り越えられない波


記憶に残る『ドン松五郎の生活』も『就職戦線異状なし』も
現在では違法視聴スタイルなしに見ることができないらしい。

Blue-Rayどころか、
DVD化の波を乗り越えることができなかったのだ。

僕は知らなかったけど
『ドン松五郎の生活』なんて
一応、続編まで作られたほどなのに、
DVD化されなかったんですね・・・。





今では覚えてる人も少ないだろうけど
当時は公共広告機構のCMにまで登場するぐらいだったのに。

映画そのものは子供向けで仕方がないにしても、
そのせいであの主題歌である『夢色のメッセージ』までが
時の波間に消えてしまったのはMOTTAINAI!


夢色のメッセージ(1986)



メロパートから難しい曲なんだろうけど、
それにしても西村知美の微妙な歌唱力(笑)
当時はこっちも子供だからあまり気にならなかったが。

アイドルだから正規のレコーディングさえ何とか凌いでくれたら、
歌番組なんてご愛嬌ですよ。声さえよければ。


当時は知らなかったけど
これが来生さんの曲だったんですね。

小学4年生の僕をあれほど映画館に行きたい気にさせたのは
犬ではなく、この曲のなせる業だった。

『さよならのめまい』は南野陽子の人気のおかげで
今でも一定の認知度を保っていると思うけど
『夢色のメッセージ』のほうは厳しいだろう。

昨日取り上げた来生版『さよならのめまい』もCDに収録されたものではなく、
ライブかコンサートで披露したものだろうけど、
来生版『夢色のメッセージ』も何らかの形で記録に残してほしいものですね。

僕がまだ気づいていないだけで
実は来生コンビの曲だった!というものがまだまだありそうだ。


それはさておき、
西村知美と5歳しか歳違わなかったんだ・・・。

『Wの悲劇』のロケ地もめぐる


年々、薄っぺらくなるなあと感じていたけど
昨年は自分でも呆れるほど空虚で無意味な一年はなかった。

今年はもう45歳になってしまうので
少しは実りあるものになって欲しいものだが・・・。

そして実に不愉快な年越しを経験させられたわけだけど、
今年というか昨年末はテレビを全く見なかった。

紅白すら一秒も見なかった年は初めてじゃないか。
もうあと何年かで石仏と化してしまうのでは?

体調もよくないせいで年明け感もなく、
また一日が経過しただけ、そんな気分。

少しは正月気分でもと思って、
Amazonで『Wの悲劇』でも見ようかと。


Wの悲劇(1984) 東映


角川映画の予告編史上、
『探偵物語』に次ぐ出来の良さであるのみならず、
本編は角川映画の中で随一の名作。

前回の映画ロケ地をめぐる旅に引き続き、
10年以上前に見た本作も記憶に残るシーンが色々あるので
そのロケ地をグーグルマップで探してみた。

まずはこちら。

w5.jpg

三田静香(薬師丸ひろ子)が演技の練習をしていた野外ステージ。
石神井公園内だったんですね。

東京の地理がわからない僕には
何年か前に殺人事件のあった公園程度しか知らないのだが。

映画内では椅子の数がもっと多かったような・・・。

w6.jpg


次はこちら。

w3

三田静香の代わりに世良公則が○された場所。
スカラ座というらしいが、もちろん聞いたことあるような程度。

記憶では屋外の階段ぽかったんだけど、
グーグルで眺めてみても画像手前に映ってる地下鉄の入口ぽいものぐらいで違うのかな。

『Wの悲劇』で世良公則が○された場所に詳しい方、
是非とも情報をこちらにお寄せください。

w4


次が最後になりますが、
もっとも衝撃を受けた画像です。

w.jpg

この老朽化したアパートは・・・。

そう、三田静香が住んでいたオンボロならぬ安アパート!
予告編内にも映るあれです。

w7.jpg

まだ建ってたんですね(笑)

普通の民家なら築40年でもどうこう言わないが、
アパートだけに耐震とかちょっと気になる。

w2

久しぶりにAmazonでレンタルしようかと思ったら、
検索画面では216円~と表示されているのに、
いざクリックして飛ぶと324円というAmazonの罠・・・。
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