現役 VS. 浪人 就活バトル編


1月下旬のこの時期、大学3回生のわれわれにとって
後期試験が始まるとともに、
就活(シューカツ)が開始した時期でもあった。

しゅうかつ【就活】
「就職活動」の略。大学生などが就職のために資料を集めたり試験を受けたりする活動をいう。(大辞林 第三版)


この1月下旬、まずテレビ業界がトップバッターだったように覚えている。
フジテレビの会社説明会があったのがこの頃だったから。

重要な後期試験の時期だし(卒業に必要な単位をほぼ取り終える)、
テレビ業界で働きたいとは思わなかったから就活の対象にしなかったのと
会社説明会で東京まで行くのはまたカネのかかる話だと思ったから僕は行かなかったけど。

関西の大学からでも東京のキー局に入りたい!
調子こいてイキり倒したい!と思っている学生は
後期試験だろうがなんだろうが東京まで行ったんだろうなと感心する。

そして2月に入ると都市銀行(メガバンク系)が動き出した。
うちなんかはローカルの法学部だから、周囲はこの銀行業界から就活が本格化した。

みんなの話を聞いてると、
履いてる靴下の色も白じゃないとダメだったり、
銀行によって”カラー”(社風)がかなり違ったり、
OBとの懇親の飲み会で頭からビールかけられるテストがあるなんて噂もあったり、
銀行の就活というのもなかなか大変だなと思った。

その後、2月~3月にかけて、
名だたる大企業、有名企業の就活がワサワサと続いた。

春を迎えた3月中旬になって
いよいよ新聞業界の就活が始まって、
4月頃が大手出版社だっただろうか。

5月になるともう有名企業、大手企業の就活は終了していて
何とも言えない場末感すら漂っていた。


受験では現役も浪人も同じ一線に立てたけど
大学の授業になると現役のほうがしっかり勉強するせいか優秀というのが
僕の周囲を見た限りの印象だった。

ところがしかし、
これがまた就職となると再び逆転するというか、
浪人組が盛り返す一方で、現役組が苦戦していた。

成績表がほぼオールAの子はどこからも内定もらえず、
公務員試験にも落ちたらしかった。
本人ももはや大学人としてしか生きていけないのはわかっていたようで
どこまで本気で活動していたのかは不明だが。

もう一人、現役で大学に入った子も志望企業から内定がもらえず、
結局、大学を留年して海外留学することになった。
(これで来年再び”新卒”として就活できる)
当時は就職氷河期という世相もありましたからね。


一方、内定もらえたと言っても誰も知らない中小企業である僕のケースはさておき、
周囲の浪人組はみんなそれぞれ狙い通りの各種公務員試験に合格していた。

中でもあの二浪が堂々の県庁入りを果たしたのは
ホームラン級の快挙であり、驚きと笑いでもって迎えられた。
成績表なんかほとんどC(可)ばかりだったのに。

しかし、思えば彼には”人間力”(あまり好きなコトバではないが)なるものがあったように思う。
さすが京都の代ゼミで一年余分に遊んで培っただけのことはある。

地方自治体の公務員試験となると試験の点数だけでは採用は難しいと聞くし、
「こいつなら談合に関わらせても大丈夫やろ」
そう認められたのかもしれない。

今のところ彼が談合に絡んで逮捕されたというニュースも聞かないし、
”県庁の星”としてよろしくやってるんじゃないだろうか。

まだ間に合う?私大英語対策


最近やたら受験時代が懐かしくなり、
たまには精読もやらないといけない気がしていたので
古書店で安かったので買ってみた。


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やっておきたい英語長文700 河合塾


マクダナル(マクド)でカフィー(コーヒー)を飲みながら挑戦してみた。

一問目は、同志社大学の問題。
言わずもがな、関西私学界のトップランカーだ。

「グローバル化」に対する様々な見解がテーマ。
この問題集が発売されたのが10年以上前の2005年とあって
当時はグローバリゼーションの是非がやかましい時代だったが
今となっては少々時代遅れ感は否めないが。

英語の受験問題に取り組むのが20年ぶりで
しかもここはマクドとあって一問目が終わるまでに40分もかかってしまった。

マクドで勉強なんか全然オススメ出来ません。
そもそもマクドは喋ったり飲み食いする場所であって
椅子も照明も勉強には適さないから。

正当率は60%超えたかなと思う。
(同志社の英語は8割とらないとダメらしいが)


さすが関西私学の雄、同志社大学だけあって
なかなか面白い英文を出題する。

its attendant myths function as a gospel of the global market.

gospelはゴスペルと思っていたら福音という意味か。
文章の雰囲気は把握できたからまああいいけど。

さすがにココを訳せという問題は出さないが、
文章を読んでいてフッとこんな単語が出てきた時、

「うちはキリスト教系の大学ですよ。忘れないで下さいね」

そう新島襄が語りかけてくるような気がしないだろうか?

同志社の英語問題は解いたことがなかったけど、
いわゆる”関関同立”の中でもとりわけ難しそうな印象が昔からあった。
キリスト教系の私大(関学もだが)は全般的に英語の問題が難しく、
それ相応の英語対策が必要というイメージがある。

僕には相変わらず知らない単語が多いし、
文意を把握し損なった所も多々あったけど
この問題でやや難といった程度だろうか。

同志社大学・英文科教授が思わず合格内定の太鼓判を押したくなるような、
背伸びではない知的センスを英文和訳でアピールしたいものだ。


もうそろそろ私大入試が始まる頃だが、
僕は私大で受験したのは関西大学だけだった。

同志社をスベリ止めにする学力はなさそうだし、
関学は何だかオシャレなブランドイメージが強かったし、
立命館は京都の端っこ(※あくまで個人的イメージ)にあって何かよくわからないし、
大衆社会の申し子である僕には庶民的なイメージの関大しか入ってこなかった。

現役時の関大受験の日は雪がチラついていた記憶がある。
法学部、経済学部と2日も受験しに行ったのだ。吹田の山奥まで。

まあ両方落ちたんだけど・・・。

新入生諸君!


さすがに新入生は気が早すぎるが
4月になると書くのを忘れそうなので。

受験勉強では現役も浪人も皆が同じ一線に立てるけど
無事に大学に合格し、入学を果たした後がまた大変だ。

僕はセンター試験の点数”だけ”だったら
志望学部の平均的な合格者よりかなり上だったと思うけど
入学後始まった大学の授業では再びデキの悪い学生に成り下がっていた。

法学部生でありながら、
最初の”一般教養”の憲法の単位を落とした時はショックだった。

何をどう勉強すればいいのやら、
何をどこまで覚えなければいけないのやら
試験で何をどう書けばいいのやら
さっぱりわからなかったのだ。

専門課程のテストとなると全て小論形式(しかもボールペンで!)になるのでさらに難しくなる。
法学の教科書は読めばなおさらわからなくなるほど難解なものが多い。
周囲の皆がわりと簡単に単位取得出来るのが不思議でならない。

学生時代の自分の周囲を見た限りの個人的な印象では
現役組のほうが大学の授業においても優秀だった。

成績表がほぼオールA(優)で後に学者になった子もそうだ。
(刑罰の「罰」の字をずっと間違って覚えているようなところもあったけど)

浪人組はまた新たな法学となると劣るというか・・・僕を含めてまあそうだ。
しかし二浪となると成績が芳しくなくともどこ吹く風といった所がある。
C(可)でも取れるならええやん?てな具合で。さすが二浪。


これは困った・・・
一浪しているのだから留年は出来んぞ・・・


ついに僕は単位取得を少しでも容易にするために
法学部・法律コースから法学部・政治行政コースへと避難してしまった。
(もう一つ国際関係コースというのもあった)

政治行政コースになると卒業に必要な法律系科目の履修がやや減って、
政治学系の科目が増える。
安心安全に”卒業”を最優先させるための措置だ。

法律はすっかり苦手になっていたけど
政治学系の授業となるとまだ面白いと感じるものもあった。

しかし、最後の最後まで大学の単位取得が容易だとか、
テストをしのぐコツを掴めたという感じは全くなかった。


今ではさすがに見なくなったけど

・卒業間近になって成績表をよ~く数え直してみると卒業に必要な単位が2つ足りない
・4回生なのに必修科目の授業をすっぽかし続けてしまい、もう試験の日だ。
 ノートを借りたくても知ってる奴が誰もいない・・・

そんな悪夢を三十路すぎまでたまに見ることがあった。

ついでに、数学のテストで0点を取る夢もどさくさ紛れに何度か見た。

いくら酷い高校時代だってひとケタの点数を取ったことは何度かあっても
さすがに0点はなかったのに。

浪人生諸君! ~来シーズンの浪人生たちに向けて


実は前回のブログで本当に、本当に言いたかったことは
”宅浪”(=自宅浪人)は絶対にダメということなんです。

自宅浪人型YouTuberなんかもかなりいるようだけど
ネット環境の発達が受験生に及ぼす影響も良し悪しがありますね。

”宅浪”というだけでも危険なのに
そこにネットという変に吸引力のある媒体があるせいで
本来あるべき受験生集団からどんどん離れたものになってしまうリスク・・・。


宅浪の話はそれぐらいにしておいて
それより多浪(※何年も浪人生活が続く人)の話。

昔と違って近頃は少子化だとか推薦入試・AO入試やら大学に入るルートも増えたから
「キテレツ大百科」の勉三さんのように大学入試に何年もトライし続ける多浪生も
もはや絶滅したものだと思っていたけど、今でも多浪生は結構いるらしい。

多浪生と言っても、
親が裕福な仮面浪人(表向きはどこかの大学生だが、来年他大学の受験を狙っている)だったり
世は空前のニート時代という背景もあって、
勉三さんのような貧しき苦労人といった感じはないけど。

複数年の多浪生というのは東京の一部の有名難関大学、せいぜい医学部ならではの現象だと思うが
僕が入った大学では周りに二浪生が3人もいた。

そもそもうちの学部は学生数が少ないし、
さすがに三浪以上の存在は耳にしなかったから
二浪が3人も周りにいるというのはなかなかのものだ。

大学という環境は不思議なもので
中学や高校だと一年違いの上下関係に小うるさいのが日本だが
ここでは現役・一浪・二浪がみんな対等に接する。

でも現役で入学した子にはどこかキラキラ感があったし、
われわれ一浪はちょっと陰りがあって中間管理職のようであり、
二浪で入学した奴は長老感を醸し出していた。

二浪のうち2人は京都の代々木ゼミナール出身らしくて
そのうち一人は代ゼミの寮に入っていて、やはり遊んでしまったらしい。
とにかく京都の代ゼミはアカンとこであると教わった。

もう一人の二浪生は某・超有名進学校の出身で
兄がT大医学部に在籍(当時)していて、本人も医学部志望だったのが
遊んでしまったのか文転(理系から文系に転向すること)してこの大学に入ってきた。

某有名中学受験塾でバイト講師をしていて、
かなり高額のバイト料をもらっていたこともあり、
入学して最初の数週間が経つと大学に姿を現さなくなった。

彼にとって不本意な大学生活より、
中学受験生相手の授業のほうが熱が入ったのだろう。

僕らが無事卒業を迎える頃になって、
大学の事務室に入ってゆく彼の姿をチョロっと見かけてビックリした。
彼はまだ3回生にすら進めてなかったと思う。

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ドラマ『予備校ブギ』では二浪の織田裕二も
親の病院を継ぐべく医学部に入ることを求められていたが
予備校を辞めて映画監督をめざす道へと進む。

多分そんなだったと思うけど、
母親との確執からドロップアウトするまでの織田裕二の心境の表現は
実に惹きつけるものがある。

一方、一浪の緒形直人は地方出身の純粋さと朴訥さゆえに
恋に遊びにと魔都・東京が繰り出す誘惑に振り回され続けた挙句、
案の定、二浪することになってしまう。

そしてダークホース的存在だった的場浩司だけが
なんとあの日大(笑)に合格するというかたちで3人の受験戦争は幕を閉じる。

今となってはやや古く感じられるところも多々あるけど
『予備校ブギ』は戒めとして一度は見といてほしいものである。

受験生諸君!ファイナル


今こうやって振り返ると
浪人時代の勉強もわりとデタラメなものではあったけど
現役の高校生の時分と比べると雲泥の差があった。

僕の現役時分の受験生生活は
到底、受験生とは言えないようなものだった。

受験シーズンになってもテレビばかり見て
受験勉強もまともにしてないわ、
塾・予備校も通ってないわ、
大手予備校の模試なんかも受けに行ってないわで。

センター試験の結果は志望校のボーダーラインにはるか遠く及ばないのに
何しに二次試験に受けに行っていたのか・・・。

合格するはずもない関西大学の法学部と経済学部を
スベリ止め感覚で受けに行って当然落ちて(笑)

何やってんの?マジで。って酷い有様だ。
ウインタースポーツに喩えようかと思ったけど
差しさわりがありそうだから止めとくわ。

ドラマ『予備校ブギ』が好きだったから
浪人前提ではいたんだけど
それにしても酷すぎる。

それでなくとも物憂げな春だというのに
次々に届く不合格通知にさらに憂鬱な気分が増す一方。
3月のあいだ中、何もしたくない気分に包まれていた。


3月が過ぎて4月になってもまだ予備校も決めていない状態に
さすがにオカンがキレて、ようやく予備校へ入学手続きに行った。

僕の出身高校の浪人生どもが
こぞって向かう予備校が当時、難波にあった大阪予備校だった。

しかし、僕は”落ちこぼれ”というキャラを引きずった、
高校時代の延長のような浪人生活を送るのはイヤだった。

別にいわゆる”陰キャ”が”陽キャ”デビューしたかったわけでもなく、
単に自分が~自分で~いられる~ような環境が欲しかったから
高校時代の同級生がいなさそうな予備校を選ぶことにした。
(一人だけいたんだけど)

それが天王寺予備校だった。

いつ・どこで手に入れていたものやら、
天王寺予備校のパンフレットが手元にあったのだ。

天予備なんて予備校の存在は知らなかったし、
逸見政孝がOBどころか大阪人だということ自体知らなかったから。

・乗り換えなしで電車一本で通える
・出身校名だけの無試験による特待生割引があって入学金が無料に
・(当時は)普通の中堅予備校という雰囲気

こんなところが天予備に決めた理由だった。

天予備に申し込みに行くと早速、簡単な面談を受けた。
面接をしたのは後に「君が合格するなんて信じられないなあ」と言ったあのオッサンだったと思う。

特待生割引を受けるために高校の成績表を提示したところ、
「遅刻がすごく多いですねえ。どうして?」
当然、訊かれたんだけど、
まさか「皆勤賞を避けるためです」と答えても意味不明だろうから
「ちょっとした反抗心のようなもので・・・」
そんな感じで答えような気がする。

特待生割引で安くなると言っても、
色々と講義を選んでいるとすぐに金額は跳ね上がって
トータルで60万円ぐらいになってしまった。
それでも大手予備校は80万~100万ぐらいが相場だったから
それに比べると安いけど、予備校ってよく出来てるなと。

果たしてどれほど費用対効果があったか?と訊かれると
イエスともノーとも言えない。

僕は前期の基礎クラスも、後期のさまざまな講義も
途中で脱落してしまったのだ。
ある程度、基礎的な学力さえ備われば
あとは問題集買って自分で解いたほうが力はつくから。


・・・何が書きたいのかわからなくなってきたけど
受験生として一定水準に立てるようになったのは
ある程度は天予備のおかげだったってことかな。

みたび、受験生諸君!



甲子園に魔物が潜んでいるのと同様に
センター試験会場にもマモノは潜んでいる。






ひどく懐かしい気にさせる動画だ。

紙からipadに変わったり、
大手予備校の解答速報もネットで出るようになったけど
(昔は各試験会場の出口で解答プリントを予備校スタッフが配布してくれた)
やってることは基本的に20年前と変わらない。

が続くと「もう止まってくれ~~ああああ」って気分になったり、
解答ズレてんじゃないか?って何度も見直してみたり。


僕が浪人生だった頃、11月に行われた河合塾の全統模試でも
まだ400点台(当時800点満点)で大爆死しているような状態だった。
センター試験の2か月前だというのに。

しかしそれでかえって火が付いたのか、
天予備で行われた12月末のセンター試験風模擬テストで初めて600点を超え、
ようやく自分の学力が志望校の合格圏内に入りつつあることを実感し、
あとは本番で何点まで伸ばせるか?に期待できるようになった。

・・・そしてセンター試験本番を終え、
恐怖の自己採点を済ませてみると
僕にとってセンター試験会場にいたのはマモノではなく
幸運にも天使だったことが判明した。


ところがこのセンター試験会場に舞い降りた天使が
やはりまずかったのかもしれない。

センター試験が過ぎた後、2次試験に向けて勉強する気が無くなったのは
震災のせいばかりではなく、センター試験の得点が良すぎたからでもある。


そして2次試験会場に特大級の魔物が現れることになろうとは・・・。
それは英語の設問2の英文読解の中に潜んでいた。

秋から予備校で2次試験の英文読解対策の講義を取っていたんだけど
その講師が「文系の2次試験の英文と言えば、言語に関する評論が頻出します」
そう言って、過去に出題された言語系の英文問題ばかり読んできたのだ。

しかし、2次試験の本番でフタを開けてみると
言語に関する評論なんてどこにもなくて科学系のエッセーだった。


これはヤバイ!
科学(化学)系の英単語の意味が一つもわからん・・・。


ポン!と頭の中が真っ白になった瞬間だった。
科学系の評論だということ以外、何も把握できなかった。

後からすると発電に関する評論だったらしいが、
hydroやらoxygenやら何やらなんか徹底的に覚えてなかった。
下線部の英文を和訳せよと言われても、
ほぼ全ての意味がわからないから推測のしようもない。

大問2、100点満点中の30~40点ぐらいだと思うが
おそらくまるまる全部落としてしまった。

ウインタースポーツに喩えるなら
1994年・リレハンメル五輪の原田雅彦の失敗ジャンプぐらいやらかしてしまった。

あの時は本当に核戦争後の灰のようになってしまって
これで滑り止めの私学に行くか、
二浪の二郎さんになるかの選択が現実味を帯びてきたと思われたけど
結果的には合格できた。

センター試験会場の天使と2次試験会場の魔物の戦いで
天使のほうが強かったのだ。

センター試験はボーダーラインの下のほうにでも引っかかってくれたら
あとは二次試験でビシーッと点を取って俺は合格を勝ち取る!

そんなイメージで勉強していたんだけどね・・・。
終わってみればセンター試験に救われた感じで。


実はあの予備校の英文読解の講師、
大学で言語の研究を専門にやっていた人だったんですね。

だから英文問題も言語に関するものばかりセレクトしてやがったんだ。

ふたたび、受験生諸君!


明日はいよいよセンター試験。
平成最後の大一番です。

あくまで平成最後のセンター試験であって
センター試験としての最後は来年です。
ここはくれぐれもマークミスのないように。

このブログを見ている受験生も
またこのブログが検索で引っかかることもおそらくないだろうけど
東進ハイスクール国語科・古文講師の吉野 敬介先生から熱い応援メッセージを。





吉野先生、ありがとうございました。


”ヤンキー講師”こと吉野 敬介先生もほんと息長いですね。

”ヤンキー講師”ともう一人”マドンナ古文”は
僕が受験生だった頃から受験参考書が本屋に並んでたから。
マイナー派かつ無知派の僕はどちらも買ったことはなかったけど。

予備校の講師ってすごく変な人が多くて
僕が通っていた天王寺予備校にも某大手予備校から
ちょっとチャラい風の英語講師がバイトに来ていて
受験生時代には必要な参考書は全部万引きして揃えただとか
嫁の親がヤクザの組長でクルーザー持ってるとか
広島校まで出張して中国自動車道を時速百数十キロで飛ばして帰ってきたけど
スピードさえ落とせば高速度のままでも速度差でカーブ曲がれるもんなんですね、
そんな嘘か真かわからないような自慢話をよくしていた。

そんなクレイジーな変わり者、個性派がひしめく受験予備校講師界でも
とりわけ大手予備校の看板級の吉野先生クラスになると
日本中の受験生を何千、何万単位で惹きつけないといけないという、
ただ科目を教えているだけではない、また別の義務があるわけだから大変だろう。
それで大手の名物講師になると年間5000万~1億円(推定)のギャラなんて話になってくる。


そんな吉野 敬介先生だけど最近、手術入院しているらしい。

だからこうやって書くのも不謹慎な気もして止めようかと思ったんだけど
吉野ブログを覗いてみるとまた驚きでやっぱり書くことにした。


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これが病院かよ(笑)

都合が悪くなった政治家が駆け込むという、
選ばれし者たちだけが入ることの許される級の病室ってこうなんですね。
僕が知っている病室の風景とあまりに違いすぎる。
西田辺のヤブ医者とは大違いだ。

さすが推定年収1億円を20年にわたって続けてくると
こういった病院にも入れてしまうのだ。

でもこんなすごい病院でも
最初はポリープと診断されていたらしい・・・。

受験生諸君!


来週は平成最後となるセンター試験

共通一次試験が廃止されて
第一回のセンター試験が実施されたのが
1990年、平成2年のこと。

センター試験が廃止されるのは来年のことだけど
このセンター試験も平成とともに歩んできたと言っても過言ではない。

体調もよろしくなくて、加齢のせいもあってか
数年前ほど思い出せなくなってきたけど
このセンター試験を僕は2回も受験しているわけだから、
そして2度目のセンター試験は阪神大震災の記憶と一体化しているわけだから、
やはり感慨深いものがある。

高校時代は完璧に落ちこぼれだったことから
1度目のセンター試験では志望大学のボーダーラインがはるか遠い点数だった。

浪人生になって迎えた2度目は
直前の12月になってまだしゃかりきになって数学をやっつけないといけない事態だったけど
本番ではそれまで取ったこともないようなボーダーラインを余裕で上回る得点をもらい、
ようやく安眠できたところに阪神大震災でしたからね。

それ以降はテレビの震災報道が気になって
私大対策や2次の筆記試験の勉強がほとんど手につかず、
センター試験の出来が良くなかったから危なかっただろう。

ウインタースポーツに喩えるなら
得意な前半のジャンプで稼いで、
苦手なクロスカントリーで追いつかれそうになるところを
危うく逃げ切るノルディック複合の日本勢みたいなもので。

予備校に大学合格を報告しに行ったところ、
担任のオッサンに「君が合格するなんて信じられないなあ」
みたいなこと言われましてね。

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僕が浪人生時代に通っていた天王寺予備校、
略して”天予備”(てんよび)。

少子化で大手予備校も閉鎖する中、今だに存続しているのが不思議で仕方ない。
当時からここは経営が危ないって噂があったのだから。

当時の天予備では4月から7月までは
高校と同じようなクラスで5教科の基礎的な授業を行い、
8月の夏期講習を挟んで、9月から12月頃までは大学の一般教養のように
自分が受けたい授業だけを選ぶカリキュラム編成だったが
僕は前期の基礎クラスでは途中で脱落してしまった。

夏休みからまたしっかり予備校の自習室通いを始めたから何とかなったけど、
担任のオッサンが「君が合格するなんて信じられない」と言ってしまうのも無理もない。

自分の内面では色々あったはずのわりにはほとんど覚えてない天予備時代だが、
この天予備にアナウンサーの故・逸見政孝が通っていたことはちょっと有名な話だった。

オジサンになって急に人気者になったあの逸見さんです。
それまでは幸田シャーミンの隣に立ってるただのオジサンだったのが。



かつて逸見政孝が通っていたという話は僕も当時聞いていて
どこかの教室の机に逸見政孝の名前が彫ってある、
みたいな話があったような無かったような・・・。

逸見さんは阿倍野高校(”アベ高”と呼ばれているのか知りません)の出身で
天王寺予備校で暗い暗い浪人生活を経て、
早稲田大学に合格して東京デビューを果たしたわけですが
実はコテコテの大阪人だったんですな。

大学から東京に行った人はローカル臭を上手く消せますね。

続・「百人一首」の謎 


昔々、風見慎吾の『涙のtake a chance』という曲があって
振付のブレイクダンスとともに少し話題になったことがある。

僕はまだ小学生だったから
この曲が”涙のテイカチャン”だと思っていて、
テイカチャンが何かについて深く考えたことはなかった。

その後、学校の授業で藤原定家(ふじわら・ていか)の名前を見る度に
藤原定家チャンと呼んでしまうようになったのである・・・。


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新版 百人一首  島津忠夫・訳注  角川ソフィア文庫

『新古今和歌集』『百人一首』の選者とされる藤原定家については
『涙のテイカチャン』を思い浮かべる程度で
和歌の人だからたいした興味を持ったことはなかった。

後になって熊野古道散策に赴いた時、
藤原定家が後鳥羽上皇の熊野詣に付き従い、
『後鳥羽院熊野御幸記』という日記を書いていたと知って
定家チャンにちょっとシンパシーを感じた。

藤原定家の人生にとって光とも影ともなったのが
後鳥羽上皇の存在。

後鳥羽上皇と言えば
1221年に鎌倉幕府討幕を目的とする「承久の乱」を起こし、
敗れて隠岐の島に流されたことで有名だけど
後鳥羽上皇に引き立てられることで
藤原定家は歌壇における地位が決定的なものになったのだ。

しかし当初こそ定家のほうが和歌に関しては”上”だから
定家が指導する師弟のような関係だったんだけど
後鳥羽上皇(天皇)は何をやっても天才的な人だったようで
和歌の技量もメキメキ上達し、
やがて歌の解釈などをめぐって定家と衝突するようになる。

そして承久の乱の前年である1220年、
ついに上皇の怒りを買った定家は謹慎処分を命じられ、
歌合(歌会)等への参加を禁止されてしまった。

つまり承久の乱は定家の謹慎中、後鳥羽との絶交の最中に起こったのであり、
結果的には定家は非常に運が良かったことになる。
そのまま上皇の傍にいたら、乱に連座することになりかねなかっただから。

上皇から距離を置くことになっていた定家は
乱後、今度は幕府による引き立てで朝廷政治家として出世を遂げることになるが
絶交したとは言え、後鳥羽上皇の処遇が随分気にかかったらしく、
それは『百人一首』にも表れている。


人もをし 人も恨めし あぢきなく
世を思ふ故に もの思ふ身は (後鳥羽上皇)


ももしきや 古き軒端の しのぶにも 
なほあまりある 昔なりけり  (順徳上皇)



『百人一首』に掲載されている後鳥羽・順徳両上皇の二首は
原型とされる『百人秀歌』では外されていた。
兵乱を起こして”罪人”となった上皇らとあって、
幕府に遠慮しての対応だった。

それからさらに年月を経て、
定家の息子である為家(ためいえ)の頃になって
ようやく元通り、後鳥羽・順徳の歌を加える形で
現在のような『百人一首』が成立したという。


わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕ぎ出でぬと
人には告げよ 海人(あま)の釣り舟 (参議篁)


小野篁(おののたかむら)が隠岐に流罪にされた時に詠んだとされる歌だが
これを『百人秀歌』に選んだ時の定家チャンの心情はどのようなものだったのだろうか。



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