ムラカミをめぐる冒険


体調が少しマシだったから
久しぶりにブックオフに行ってきた。

目的はせどりもあるけど
半ば以上は自分用の本を探しにきたのだ。


MISSION:『羊ヲメグル冒険』ノ下巻ヲ入手セヨ。105円以下ニテ


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久しぶりに読み直してみたらやっぱり面白い。
そろそろ上巻を読み終えそうだからと下巻を探しにきたわけだが・・・

結論から先に述べると見つからなかった。
上巻を80円で余裕でgetできたものだから甘くみていた。

旧カバーのボロボロのやつならあったけど
あとは105円棚に新カバーのキレイなのがあったから
よっしゃ!と思って引き抜いたら250円の値札が貼ってあって
思わず棚を蹴っ飛ばしてしまった(※もちろんここは嘘として読むべき)。

mission completeならず・・・。

しかしその代わりと言ってはなんだが
『アフターダーク』をついにgetした。

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『アフターダーク』村上春樹/講談社文庫


『海辺のカフカ』の後、『1Q84』の前に書かれた長編小説だ。

途中まで読んだところだが
これまた村上春樹らしくない小説で
3人称形式という点では『~カフカ』に続くものではあるけど
『~カフカ』が”僕”と読みかえても支障なさそうな視点だったのに対し、
こちらはそれを許さないまま
深夜のファミレスから始まる”彼ら”の人間模様をひたすら覗き見るという形式。

『海辺のカフカ』が教養小説なら、
『アフターダーク』は実験小説といった趣だ。

こんなムラカミ小説は嫌だ!と思う方も少なくないだろうけど
形式は従来と大いに異なっていてもそこはやはり村上作品で
どこか『ダンス・ダンス・ダンス』を思い起こさせる世界がある。

そして必要があるかどうかはさておくとして
村上春樹の長編小説にしては珍しく映像化しやすい作品だろう。


ついでに『ねじまき鳥クロニクル』第一部も買ってきたけど
肝心なせどりのほうも失敗かと危ぶまれたが
古本市場で当たりっぽい本も拾えて
まだせどり運は尽きてないようだ、これが書きたかったわけだ。


・・・それにしても

クロアチア連勝で20年ぶり決勝T進出、アルゼンチン敗退危機

日本がコロンビアを破ったり、
優勝候補ドイツが初戦を落としたり、
アルゼンチンの予選敗退が現実味を帯びてきたり、
そもそもイタリアやオランダが出場してなかったりと
ワールドカップ・ロシア大会は大荒れの様相を呈しつつある。

味噌缶をつまみつつビールでも飲みながら
巧いチームのゲームを見てるとそれなりに面白いからいいんだけど。

地震 Earthquake


近くの断層、過去に大地震=大阪「6弱」は観測史上初

気象庁の松森敏幸地震津波監視課長は18日午前、大阪府北部で起きたマグニチュード(M)6.1、最大震度6弱の地震について記者会見し、「地殻内部で起きた直下型地震」と説明した。
 震源のごく近くに「有馬―高槻断層帯」があり、この活断層の一部が動いたかは今後解析するという。
 大阪府で震度6弱以上の揺れを観測したのは、気象庁が1923年に地震観測を始めて以来、初めて。余震も続発し、松森課長は「今後1週間、最大6弱程度の地震に注意してほしい」と呼び掛けた。



夢の中で揺れだしたなと思ったらやっぱり地震で
慌てて飛び起きた。
何の夢を見ていたのかはもう覚えていない。

同じ大阪でも震源から離れていたから
当地はまだ震度4で済んだ。

東日本大震災(2011年)以降、年に一回程度、
大阪でも震度4以上の強い地震を感じることが多くなったけど
それにしても久しぶりの地震にかなりビビった。

揺れ始めると


これ以上揺れが強くならないでくれ・・・


内心祈っているみたいなんだけど
いつもその願いは通じない。

揺れが強くなってきて


これはいよいよヤバい地震や


となってくると避難経路の確保を考える。

ドアや窓をopenして、
家が倒壊しそうな時はいつでも飛び出せるように。

やがて揺れが収まると


今回もこれぐらいで済んでよかった


とコンピュータを起ち上げると。
いつもこんな流れ。

1995年の阪神大震災以前、生まれて20年ぐらいまでは
わりと強めの地震を経験したことがなかっただけに、
とりわけ東日本大震災以降はいつ大地震に見舞われれるかわからなくなっている。

地震も台風もない地域がうらやましい。
ついでに日本風の四季まであれば極上だ。


サッカー 1次リーグ ポルトガル3-3スペイン ロナルド、王のハット


たまたま見ることになったポルトガル-スペイン戦が面白すぎたせいで
今回のロシア・ワールドカップ中継はかなり見ている。

今朝も明け方までブラジル-スイス戦を見ていて
眠りについて3時間足らずで地震によって起こされたわけだ。

地震のせいでワールドカップ気分がまた吹っ飛んでしまった。

コロンブスたちは中南米に何を見たか?


高所で自撮りしようとして転落死する、といったニュースなんかよく目にするけど
今回のグアテマラのフエゴ火山噴火でも同じ。



火砕流が迫っているというのに撮影に余念がない・・・。

今では世界中の誰もがスマートフォンを持っているらしいが
珍しいものを撮影して見せびらかしたいという欲求が世界的にやや病的な域に達しているのかも。



こちらの奇跡的に無事だった警察かレスキュー車両の映像なんか見ると
今回のフエゴ山の火砕流は雲仙の火砕流に比べると温度が低かったのかもしれないけど
最後までスマホ撮影していて亡くなったという人も少なくなかったのではないか?

グアテマラも火山噴火(と地震)の多い国で
昔々、スペイン人入植者がやってきた頃に築かれた首都が
火山災害により壊滅したこともあるらしい。


クリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)は直接グアテマラにやって来たわけではないが
たまたま読んでいたので強引に。

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(コロンブス航海誌  /岩波文庫)


この本を読むには事前および事後にいくつかの注意点が必要だ。


Point1 この書は原本ではない

この本はコロンブスの航海日誌であるが原本そのものの翻訳ではなく、
コロンブスと同時代の人で有名なラス・カサス神父による要約だ、と解説にある。

表紙カバーにもことわってあるけど、そこを理解しないまま読むと
「提督、提督って誰のことや!?」と少々チンプンカンプンな話に。
もちろん「提督」とはラス・カサスから見たコロンブスのことである。

コロンブスが書いた航海日誌の原本(の写し)を
ラス・カサスが引き写してまとめたものがこの本であり、
コロンブスの原本も写本も失われてしまったことから貴重な記録となっているというわけだ。


Point2  そこがインドであり中国やジパングだと思っていた

この話は学校の歴史の時間に聞かされて有名かもしれない。
コロンブスが”発見”するまで、ヨーロッパから船でインド方面に向かうには
アフリカ大陸をぐるっと回りこむ東回り航路しか知られていなかった。

ずっと西に進んでもインドにたどり着けるはずであり、
黄金の国ジパングで金をがっぽり採掘出来るはず・・・と見込んで航海に出て、
中南米の島々を探索中も、それどころか死ぬまでそこがインド、東アジアだと思い続け、
未知の新大陸と気づくこともなかった。

それぐらい強い思い込みや信念がないと
大航海時代の冒険なんて難しいのかもしれない。

航海に出る際に寄港したカナリア諸島やアゾレス諸島の人々の
「西の海に陸地が見えることがある」との証言を書き留めているが
さすがに大陸は見えないだろうから蜃気楼だろうか?


Point3  本当は怖いコロンブス冒険譚

コロンブスの”発見”は原住民に対する虐殺など、
今では大航海時代最大の輝かしい業績としてはあまり語れなくなっている。
そもそもこの『コロンブス航海誌』の要約したラス・カサス神父こそ
スペイン人入植者たちの数々の残虐行為を告発したことで有名であり、
僕も学生時代にそちらの本でこの名を知ったのだから。

しかしこの『コロンブス航海誌』は第一回目の航海の記録であり、
スペイン人たちが残虐行為に走るような描写はほとんどない。

島々で出会う原住民のほとんどが武器も持たず非常に温和で従順そうだったから、
残虐な手段に出る必要もなかった(起こった戦闘は一回だけ)。
ただ、好戦的な”人食い人種”であるカリブ族だけを警戒するだけで。

コロンブスらスペイン人入植者らの態度が一変するのは
第一回目の航海を終えてスペインに帰国した後、
第2回目の航海でイスパニョーラ島に戻ってみると
島に残していった39人のスペイン人が原住民によって全滅させられていたのを知ってからだろう。
「これはカリブ族以外の原住民も油断ならん・・・」となったのではないか。

擁護やら非難やら抜きにして、
『コロンブス航海誌』が非常に穏やかな話で完結しているのは
第一回目の航海記録だったからということで嘘でも何でもない・・・はず。


とにかく、この本は解説を先に読むべきだなと思った。

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剣豪・・・実際のところどうだったの?


熊野についてまだ書きたいこともあるけど
この辺りで話題を変えよう。


ちょっと前のことになるが
Gyaoで『魔界転生』を見た。



島原の乱(1621)で敗死したはずだったキリシタンの天草四郎時貞が
悪魔の力を借りて「転生」を遂げ、
憎き江戸幕府に復讐を図るというストーリー。

子供の頃はひたすら恐怖!不気味!といった印象しか持てず、
角川映画の中でもとりわけイロモノ感が強かった。

しかし今見てみるとなかなか面白い。

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調べてみると千葉真一は柳生十兵衛を幾度も演じていて
これまたなかなか面白い『柳生一族の陰謀』(1978)でも十兵衛だった。
柳生十兵衛を演じるために生まれてきたような人だったと今頃知ったわけだが
殺陣(たて)のキレもさることながら、みなぎる気迫がすごく良い。

映画は映画でいいとして
それでも常々考えてしまうのが(僕だけではないだろうけど)
実際の江戸時代の剣豪の剣技ってどんな感じだったのかな?ということ。

現代でも〇〇流なんて剣術の流派はたくさん存在しているけど
その多くは居合や 据え物切りなど形(かた)を重視するものがほとんど。

現代社会では実戦志向の剣術なんて危険極まりないから期待するわけではないけど
夕飯の鍋を煮ている塚原卜伝に背後から木刀で打ちかかっても本当に鍋蓋で受け止められるのか、
江戸時代の剣豪と呼ばれる人々の実際の剣技が映画やドラマの殺陣に近いものだったのか、
夜も眠れないほどではないが気にはなってしまう。

時代劇の殺陣ほどのものはあり得ないだろうけど
剣術に優れた人が実態としても常人離れした腕前だったと期待させてくれるのが
幕末に活躍した勝海舟の回想録『氷川清話』に残された岡田以蔵のエピソード。

その夜は市中を歩いていたら、ちょうど寺町通りで三人の壮士がいきなりおれの前へ現われて、ものをもいわず切りつけた。驚いておれは後へ避けたところが、おれの側にいた土州の岡田以蔵が忽ち長刀を引き抜いて、一人の壮士をまっ二つに斬った。
「弱虫どもが何をするか」と一喝したので、あとの二人はその勢いに辟易して、どこともなく逃げていった。
おれもやっとのことで虎の口を遁れたが、なにぶん岡田の早業には感心したよ。
後日、おれは岡田に向かって、「君は人を殺すことをたしなんではいけない。先日のような挙動は改めたがよかろう」と忠告したら、「先生。それでもあのとき私がいなかったら、先生の首は既に飛んでしまっていましょう」といったが、これにはおれも一言もなかったよ。


幕末の”人斬り三人衆”の一人として有名な岡田以蔵だが
一時期、勝海舟のボディガードを努めていたことがあって、
その勝海舟が実際に傍で見た”実戦”の記憶だ。
(※勝海舟自身も有名な剣客・男谷精一郎が従兄弟であり、剣の腕前はかなりのもの。
さすがに人を斬ったことはないだろうけど・・・)

もちろん『氷川清話』は海舟晩年の回想であり、
そこには誇張や記憶違いも含まれている可能性もあるだろうけど
罪人として打ち首になった一介の浪人にすぎない岡田以蔵を
海舟がそこまでヨイショする必要もないだろうし、
これはかなり以蔵の剣術の実態に近い証言と考えてよいのではないだろうか?


・・・ところが近年は映画やアニメで人気が出ている岡田以蔵が
残念ながら僕はどうも好きになれない。

何故なら”人斬り以蔵”が最初に実行した暗殺が
仲間4人がかりの絞殺(しかも手ぬぐいで)であり、
それ以外にも以蔵の暗殺ファイルには剣による以外の殺害が散見されるから。

全てが剣による暗殺ならまだ”人斬り”でも少しはリスペクトrespect出来るものを
それではただの殺人趣味じゃないか、そう思えて仕方ない。

歴史上に証拠を残す剣術の手練れだっただけに惜しい奴だ・・・。


すっかり結論を忘れていた。

時代劇ほどではないけど、
真剣を扱うことに慣れた(※躊躇なく人を斬ることも含む)剣豪は
実際もかなりのものだったんじゃない?ということ。


熊野別当の話


そもそもは本宮、新宮、那智はバラバラに成立した神社であって
それが三山として一体化すること史料的に確認されるのは11世紀頃のことらしい。

そして現地で熊野三山をまとめる総括的な地位として
熊野別当(くまのべっとう)と呼ばれる役職が生まれた。

代々世襲の地位とされ熊野別当家は
院政の黄金期だった白河上皇や貴族らの熊野参詣が盛んになり出すと
「御師」(宿舎や警備等を差配する者)を務めることで
上皇・貴族らと結びつきを強め、
寄進を受けて熊野方面一帯を領主として支配するようになった。

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グーグルマップで見るとわかりやすいが
熊野方面と言ってもとても広大な領域であり、
本宮大社への玄関口にあたる紀伊田辺と新宮や那智とでは
紀伊半島の山地によって遠く隔てられている。

そこで熊野別当も新宮別当家と田辺別当家に別れることになり、
やがて中央の政治的争いと呼応するように両家も対立するようになる。

平清盛が政権を掌握することになる平治の乱(1160)が起こった際、
熊野詣の真っ最中だった清盛に京でのクーデター発生を知らせたのが熊野別当・湛快であり
田辺別当家も平清盛と結びついていた。


他方、新宮別当家は源氏と姻戚関係にあって、
平家の全盛期にも関わらず、
後に”以仁王の令旨”を全国の源氏に伝達することになる源行家を匿っていた。
(※新宮行家。頼朝の叔父にあたる)

そしてついに新宮の不穏な空気を察知した田辺別当の湛増は
本宮・田辺勢を率いて新宮に攻め寄せるも敗退。
『平家物語』では源平合戦の第1ラウンドが
この熊野における田辺別当家と新宮別当家の武力衝突とされている。

やがて、熊野別当として最も知られているこの湛増も源氏方に鞍替えし、
熊野水軍を率いて壇ノ浦の平家滅亡に寄与した話は有名だ。

しかし後に、熊野参詣28回を誇る後鳥羽上皇が承久の乱(1221)を起こした際、
田辺別当家は上皇方に加担したことから鎌倉幕府による攻撃・弾圧を受けることになり、
これを機に上皇による熊野参詣もほぼ途絶えることになってしまったことから
平安末期より100年あまりに渡る熊野別当権力は衰退へと向かったのでした。

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