質感の問題

火曜サスペンス劇場を録画保存してまでしっかり見ていたのは
1994年、浪人生だった頃から数年間のことだった。

火サスの中で面白いと感じる作品に共通していたのは
端的に言うと画面の質感にあった。

あのザラっとしたような質感・・・

この正体が何なのかネットで調べてみたら
どうもフィルム撮影かビデオ撮影かの違いに帰着するらしい。

1970年代も半ばを過ぎると、これまでのビデオカメラのコストと技術的制約もなくなり、フィルムからビデオでの撮影に徐々に移行することとなった。フィルムが必要とする現像の手間以外だけでなく、ビデオ編集用の機材の発達と何よりもコストの問題で、映画会社系の制作会社もビデオ撮影を採用し始め、1990年代後半からフィルムで撮影されたドラマは激減。2000年代初頭には、刑事ドラマや時代劇もビデオ撮影に移行して、フィルム撮影はほぼ姿を消した(日本と違ってフィルムへのこだわりが強い欧米では大型テレビドラマの場合35ミリ映画用カメラを使ったフィルム撮影の方が主流である)。


火サス史上最高傑作の「からくり人形の女」も
水谷豊の浅見光彦ミステリー、朝比奈周平ミステリーも
故・坂口良子主演の京都〇〇殺人街道でおなじみの女性記者シリーズも
90年代前半までの作品に多く見られたあの質感はフィルム撮影によるものだったのかと。

それで90年代半ばから見始めた本放送では
あの質感による作品が一つも出てこなくて物足りなさを感じたわけだ。

それが90年代半ば以降の作品がイマイチつまらなく感じた原因なんだ。

ビデオによる撮影はクリアで綺麗に映るけど、チープに感じてしまう。
何年か経ってから再放送で見るとそのチープさが増す。
2時間サスペンスなんて再放送前提に作るものではないんだろうけど。



火サス黄金期が89年から数年間だと感じた理由の一つが以上のようなことにあったと
ネットのおかげで今ようやく解明された。
便利な時代になったものです。

コスト的に現在では無理なんだろうけど
2時間サスペンスはフィルム撮影のほうがいいと思う。

昭和世代だからか?

ニュース番組と火サス漬けだった頃


テレ朝週末新ニュース番組、初回視聴率『サタデー』8.7%・『サンデー』8.0%

テレビ朝日が週末編成で勝負に出た新ニュース番組が、22・23日にそれぞれスタートし、初回視聴率は『サタデーステーション』(毎週土曜20:54~)が8.7%、『サンデーステーション』(毎週日曜20:54~)が8.0%だった。


『新・情報7days ニュースキャスター』や『Mr.サンデー』があるとは言え
土日の晩にまで報道ステーション的なニュース番組なんて地獄じゃないか?

でも昔はもっとハードなニュース番組地獄の中にいたような。

浪人生~大学生の頃になってようやくバラエティー番組離れが始まったけど
ニュース番組はよく見ていたような気がする。

夕方4時台のNHKのニュースに始まって
夕方6時の民放各ニュース番組見て
NHKの7時のニュース、そして9時のニュースを見て
『ニュースステーション』見て(←ここが本丸です)
さらに11時から筑紫哲也と『今日の出来事』を見て
最後はニュースJAPANとスポーツニュースで〆る、みたいな。

こうやって振り返ってみると午後8時台か深夜帯しか空きがなかったんだ。
実にハードなニュース番組漬けの生活を送っていたものだなと。
6時台のニュースとか、11台のTBS-日テレ(たまに-テレ東も)なんか
どうやって見てたのか今思うと不思議だ。

幼少時からのテレビ好きか、よほどのいらちだけが体得できる高速ザッピングのなせる業だろう。

今ではすっかり怠慢になってしまい
ニュース内容自体はスルーしてることも多いけど
ニュース番組にチャンネル合わせていると何となく落ち着く、
そういった感覚だけはまだ多少なりとも残ってる。
BGM感覚に近いのかも。


この番組のために『土曜ワイド劇場』が日曜日の午前という
よくわからない時間帯に移されたとか。

土曜ワイド劇場は見てなかったからいいんですけど。
”火サス”派でしたからね。

どうしてそんなに火曜サスペンス劇場にハマったかと言うと
僕が高3から浪人生の頃、夕方に火サスの旧作を再放送していたんですね。

当初は見るとはなしに見ていたのだが
ある日、ついにあの名作に当たってしまったのだ。

からくり人形の女(1989年)
主な出演:田村 高廣、堤  真一、洞口 依子

からくり人形職人の息子が帰郷し、美しく成長した妹によって悲劇の記憶を呼び起こされる。芸達者な役者の好演と映像の美しさが印象に残る作品。


あくまで僕が見た中での話ですが
これは火サス史上、最高傑作だった。

火サスにしては耽美的・官能的に偏りすぎて出血量多め、エロティック度高めなんだけど
魔性の女に耽溺するあまり殺人まで決行しようとする堤青年の心理描写、
映像的なセンスの良さ、そして最後に流れる「シングル・アゲイン」にとどめを刺された。
2時間ドラマの域超えてるぞこれ・・・みたいな。

荒い映像だがYouTubeに何故かエンディングだけあった。
(※少しショッキングな映像が流れます)


ところが残念なことにこの作品、番組の途中からしか見てなかった。
これは是非フルな形でもう一度見てみたいな、と。

それから火サスを舐めてはいけないと反省し
再放送・本放送とも面白いと思った作品はビデオに録画保存するようになった。
いつかもう一度「からくり人形の女」が再放送される日を心待ちにして・・・。

しかし、火サスにハマっていた数年間、
再び「からくり人形の女」が放送されることはなかった。

当時でも火サス過去作は数百タイトルあったわけだから
順次再放送していたら二巡目はそう簡単に回ってこない(笑)

映画ならDVD化されて入手すればそれで済むけど、
火サスみたいな2時間サスペンスの中に傑作を見出してしまうと非常に辛いことに。

これ以外の有名なシリーズ物なんかでも88・89年から数年の間に作られたものは
大体どれも面白いと思ったけど「からくり人形の女」を超えるものは見当たらなかった。

本作は堤真一の初期のドラマ主演作とあって
そっち方面のファンの方にはそれなりに注目されていて
そういう目線の人が見ると微妙すぎる印象しか残らないだろうけど
江戸川乱歩や横溝正史に魅かれるような耽美傾向のある人に向いていると思う。

こうやって振り返ってみると
本作品は私が火サスに開眼させられることになった画期的傑作だったけど
火サスの視聴者層にとってはエログロ的でこれはちょっと無いのかもしれない。

火サスで「からくり人形の女」の次に印象に残ったのは

六月の花嫁(1)造花 (1994)
主な出演 :財前 直見、別所 哲也、綿引 勝彦

駅の売店で働く久美子は、飯田という男から、5000万円の小切手を拾ってくれたお礼に200万円の現金を渡された。人違いと気付きながらも、久美子は受け取る。だが、飯田は殺人容疑者だった。


造花と書いてぞうかでいいのかブーケと読むのだったかもう覚えてない。
火サスには珍しい、推理小説でいうところの叙述トリック的な意表を突いたラスト。
2時間ドラマで上手くやったなとやたら感心したものです。

ネタバレするから書きませんが。
書いたところで誰にも何ら支障はないだろうけど。

そう簡単に見られるものじゃないし。

この管理社会に生まれて


最近、服のサイズ表記がおかしすぎないですか?

ネットで購入するとまず適正なサイズだと思われるものが届かない。
中国に限らず、様々な東南アジアの国で製造したものを輸入しているせいか。

余裕を見てXLを注文したのに
前が全然届かなくてチャック(ファスナー)が絞められなかった時はさすがにショックだった。
何でXLがこのサイズなんだ・・・どこの小人の国で縫製したんだって。


そういえば
幼稚園の頃だけなんだけど、僕はクラスで一番背が高かったせいで
背の順でも名前の順でも、何かで並ばされる度に一番最後になってばかりだった。

健康診断や予防接種(名前の順)の際は自分が最後だから
自分の番が回って来る頃にはガヤガヤ騒がしかった保険室も
自分以外誰もいないから静まり返っている。
注射の恐怖をいつも一人で引き受けなければいけない。
ラスト・サムライ。

運動会になると(こちらは背の順)、徒競走の際には奇数で一人余るから先生と走らされ、
お遊戯でペアになる際には一人余るから先生とペアにさせられた。

だから、自分より後にはもう誰もいない、一人取り残されてしまう不安、
(心理学的な使い方とは違うみたいだけど)見捨てられ不安が人一倍強かった。

小学校に上がって他の幼稚園から自分より背の高い猛者たちが集まってきて
クラスで後ろから5番目ぐらいに下がった時は嬉しかった。
まだ後ろに4,5人いるんだって。
これで背の順による見捨てられ不安からは解放されたと。

背の順で並ばせること自体が海外ではあまりないことで
先進国では日本ぐらいだとネットで知って少し腹が立った。
(先進国という表現も寒々しいけど)

日本人はアドミニストレーターの立場になると
何でもキチンと測っては規格化したり並べたがるのが習性なのだろうか?
仮に自分もそっち側にいたら同じことやったと思うけど(笑)

そういうわけで幼稚園の頃は背の低い、小さな男子を本当に羨ましく思っていた。
幼稚園児はああいう風に小さく可愛らしくあるべきだと。

しかし、それは幼稚園児だった頃の話で
今は事情が違うから、小さすぎる服を届けられても困る。


サイズ表記がおかしすぎるのはネット注文だけの話ではなく
実店舗でもおかしくなってる。

XLでも小さかったり、
これ本当にLサイズ?って訊きたくなるぐらい大きかったり。

日本のアドミニストレーターの方々には
背の順で並ばせることよりも服のサイズ表記の管理のほうにもっと注意を向けてほしいものです。

いちいち返品するのも疲れるんで。

友好の代償として


3~5年ぐらい前の記憶が最も薄いように思う。

言われるとそうだったかなという気がする程度で
明瞭には思い出せなくなっている。

体調や年齢的に頭のはたらきがおちてるせいかもしれない。

しかし、もっと古い記憶を再生することだけは旺盛なんだ。

強烈な印象を残した2,3の事柄に意識を集中化しているだけだし
それが本当に正確なのかどうかとなると怪しいものだけど。

人によっては前世の記憶があるという方もいるだろうけど
だいたい3歳頃から記憶があるというのが
懐古趣味市場の相場ではないだろうか?

僕の中での最古の記憶もやはり3歳頃のもので2つぐらい覚えている。

その一つが田舎に帰省した際に姉と一緒にピンクレディーのマネをやって
親戚の喝采を得たこと(そしてはしゃぎすぎて疲れ、夜道をおんぶされて帰った)。

もう一つが、オサム君と初めて遊んだ時のこと。
オサム君というのは近所に住んでいた僕より一歳年下の男の子。
だから僕が3歳でオサム君が2歳だったと思う。

お気に入りだったおもちゃのクレーン車を初めて庭の砂場に下ろすことにした時のこと。
家の中で遊び飽きたおもちゃは、砂場遊び用として外に出してしまうのが当時の慣習だった。

クレーン車を持って庭に佇んでいると
どこからともなくやって来てそこにいたのがオサム君だった。
(この記憶のVTRは突如ここから始まるので何故オサム君がうちの庭に入って来たのか不明)

当然ながらオサム君は僕が手にしていたクレーン車に興味を示し
貸せと言わんばかりにしつこく要求してきた。
オサム君はまだまともに喋れなかった。

どこかの部族に対するように友好の証を示さないといけないと思った僕は、
素直にオサム君にクレーン車を渡してあげた。

オサム君は猿のようにキャッキャッとクレーン車で遊び始めた。
そこまでは貸してあげてよかったなと思ったのだが。

オサム君は猿のようにキャッキャ、キャッキャと興奮するあまり、
を垂らし始めた。まだ2歳だから。
一旦はすするけど(2歳でも啜らないといけないことぐらいわかるらしい)、また垂れてくる。

その様子を見ていた僕は不安に思えてきた。

涎がクレーン車に落ちてしまうのでは・・・

クレーン車遊びに興じるその姿より、
垂れ落ちんばかりのオサム君の涎のほうが気になりだした。

徐々に光る涎の糸が伸び始めた。
オサムがその都度すすっても、次に出てくる涎の伸び具合も長くなる。

そしてついに・・・
涎は・・・
クレーン車に・・・
達した・・・

しかもたっぷり・・・

一旦クレーン車に達すると、一筋の光の糸はその後ダラダラと垂れ続けた。
クレーン車はヨダレまみれになってしまった。

その場ですぐに洗えばよかったのかもしれないが
こっちも3歳ぐらいでそういった頭がはたらなかった。

クレーン車の旋回部位に砂礫が入ってこびりついてしまったようで
それ以来、クレーンを回転させる度にジャリジャリと擦れる不快感が生じるようになり
以前のようには滑らかに回転してくれなくなった。

クレーン車はオキニから外れた。


エピソード記憶は強い感情を伴った時ほど記憶に残りやすいという。

オサム君の涎が(落ちる!落ちる!)という強い焦りが
この最古の記憶を残す要因になったのだろう。

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