大和路せどり紀行 2017春


もう二度と行かないと決めていたけど
つい春の陽気に誘われて
昨日は奈良のブックオフへ行ってきた。

原付のタイヤがとっくに交換時期を迎えていて
後輪のグリップが落ちているせいであまりコーナー攻めると滑るから
あまり遠出はしたくなかったんだけど。

原付歴もかなりになってしまっているけど
幸運にも今まで一度も原付で転倒したことがない。

一回だけ、激しいゲリラ豪雨に見舞われた際に
長い下り坂の後、左折時に側溝のフタ(グレーチング)の上で
ズリズリッと滑ったことがあって、「あーこれはダメだー」なんて思ったけど
奇跡的に左脚が反応してくれて何とか踏ん張って事なきを得た。
これが原付人生最大の危機だった。

才能のない人は初めて原付に乗ってアクセルを回した瞬間にコケるらしいから
自分には原付を操る才能ならあるんだろう。



原付の運転なんて少し臆病なぐらいが丁度いい。

タイヤ交換以前に、エンジンオイルの交換もしないとダメなんだけど
これもまたケチって延ばしている。

だから遠出はしたくなかったし
行ったところでどうせ奈良のブックオフはせどり的にはシケてるから。



・・・やっぱりシケてた。


大阪より奈良のほうが花粉がキツイのと
長時間、原付に乗りすぎたせいで頭痛を得てしまい、
ただそれだけに終わった。


これでは勝利のたこ焼きを食う気にもならない。

一大センセーションを巻き起こした男がいた

田舎、田舎と
まるで田舎を揶揄するかのようなことを書いたけど
安心してください。

僕が住んでいる地域も
大阪の中でしばしば田舎呼ばわりされてきた土地ですから。

小学校5年の時だろうか。
転校生のT君がやって来たのは。

T君は転校してきたその日に
クラスのリーダー格の子にいきなり挨拶代わりのギャグをかました。

後から思うとそれは吉田ヒロ風のギャグだったけど
こちらでは吉田ヒロなんかまだ誰も知らなくて
ただただおちょくられているとしか受け取りようもなく
リーダー格の子は怒りのあまりプルプルと震えていた。

T君は転校生やから何もわかってへんわ・・・

その様子を見た僕は
学校の帰りにT君にそれとなく忠告してやった。
「彼はクラスで一番力強いから、あんなことやったらアカンで」

しかし、T君には確固たる自信があったのだろう。
僕の小市民じみた忠告なんか歯牙にも掛けずに
次の日も相変わらず、誰彼かまわずに吉田ヒロ風のギャグを連発していた。

こんな風に当初こそちょっとおかしな子と見られていたT君だが
そのやることなすこと全てが、
田舎じみた僕らの次元を遥かに超えた、流行の先端を行くセンスの持ち主だと気づくまでに
それほど時間はかからなかった。

例えば、丁度その頃、ジージャンが流行っていた。
田舎とされる当地でもジージャンを着る子は多かったけど
みんなはただジージャンを着るだけだが
T君の着こなしは僕らとは一味違うもので
袖をまくって裏地のチェック柄を見せたり
(つまりジージャン購入する時点で裏地の柄で選んでいた。小5の男子が!)
靴、靴下、帽子と合わせてコーディネートというものをはかったりする。
そういうのって僕らでは逆立ちしても出てこない発想だった。

T君の口癖が「おまえらだっさい(ダサい)のうー」だ。
そう言われないようにと
皆がT君のファッションを真似るようになっていった。
それまで田舎の子丸出しだったのが、みんな急速に色気づきだした。

当時売れ始めていたダウンタウンが面白いと教えてくれたのもT君だった。
T君のおかげで僕らは『四時ですよーだ』という番組を知り
番組開始の早い時期から付いていくことが出来た。
みんな番組を見るために急いで下校した。
T君が転校してこなかったら、当地におけるダウンタウンの受容はもう少し遅れたかもしれない。

次第にT君が身に着けるモノやら勧めるモノはこぞって何でも取り入れるようになっていった。

僕が高井麻巳子のレコードを買ったのも
T君が「高井麻巳子ええわ~高井麻巳子ええわ~」と言うからだ。

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「ええやろ?」
「う、ううん・・・ええな・・・(ええか?)」

自分で購入した最初で最後のレコードだった。
2,3回ぐらいしか聴いてないけど(でも冒頭だけ覚えてる)。

こんな具合に一大センセーションを巻き起こし
クラスの雰囲気をガラッと変えた転校生・T君の存在を煙たがったのが担任の先生だった。

T君は先生に対しても何かと反抗的なところがあり、
それは田舎の純朴な子たちと大差ない僕らにはなかったことだから。


この生意気なクソガキのせいで
まとまっていたクラスがすっかりおかしくなってしまった・・・



先生もさぞかし苦々しく思っていたことだろう。
ある日の「終わりの会」でついに自ら攻撃に出た。
T君の日頃の罪状を並べ立てて吊し上げにし、
徹底的に集中砲火を浴びせたのだ。
(終わりの会は通常、生徒が生徒を告発し謝罪を求めるもので、これは異例なことだった)

いつものように反抗的な態度を示したT君も最後には降参した。
泣きながら「ごめんなさい」(←終わりの会の恒例。わかる人どれだけいるだろう?)

その日以来、一時は彼中心にクラスが回っていたと言えるほどだったT君の求心力は
明らかに低下していった。

おそらく大阪ミナミに出入りして身につけたT君のセンスに付いていく困難さだとか、
そろそろ飽きがくる時期でもあったのかもしれない。

T君の周囲にはそれに付いていける人間だけが残っておしゃれグループを形成し
他は皆それぞれの趣味や程度に応じたポジションへと散っていき、
クラスは再び平穏を取り戻した。

危うく皆勤賞になるぐらい


ほんの数年前までは孤独死にも耐えられるような気がしていたけど
年々カラダが弱ってそれが精神をも弱らせていくのは感じる。

例えば、高校生の時なんか大して運動もしなかったのに全く風邪をひかなくて
欠席が一度もないまま高校三年を迎えた。

ここで深刻に悩むことになる。

それまで高校に皆勤賞というものがあるらしいことを知らなかった。
これは完全に盲点だった。

通っていたのは公立の進学校だったから、
そういう学校が皆勤賞として表彰したいのは学業も優秀な生徒。
高校三年間ずっと落ちこぼれで
学校にはオカンの作った弁当食べに来てるだけの人間が皆勤賞なのはおかしいな、と。

皆勤賞で表彰されたりなんかしたらもう拷問に等しい。
アホは風邪ひかへんから(笑)とか絶対言われるな、って。

だから、皆勤賞回避のためにしばしば、少しだけ遅刻するようにした。
授業が始まってから教室に入って行くのは他の生徒には申し訳ないけど
こっちだって皆勤賞回避のために必死なんでね・・・。

おかげで高3になって遅刻が何十日かついたけど
まだ不安があった。

皆勤賞的に遅刻はどうカウントされるのかな?と。
ちゃんと遅刻は欠席に準じた扱いをしてくれるのか?
遅刻を積み上げて皆勤賞を回避したつもりが
欠席はゼロのままだから皆勤賞で表彰されたらどうしよう。

皆勤賞の要件がわからないから何とも不安だ。
やはりここは素直にズル休みしておくしかない。

そして高3の文化祭の日だったかに一日だけ欠席しておいた。


骨折も一度もしたこともなく、あれだけ健康だったのに
今では頻繁に風邪ひくし。

最近、ある特定の記憶を思い出すと確実に涙が出るようになって
絶対にカラダがどこかおかしくなってると感じる。

原付がダメなんだ。
運動しないのに、身に染みる冷えが大敵だ。

四十路でもうこれだから五十、六十とかめちゃヤバそう。


英国会近くで襲撃、4人死亡40人負傷 「イスラム主義者のテロ」か

イギリスで大規模なテロ事件が発生。
イスラム国(IS)ではないとしたらまた厄介だ。

ほうとう、天河伝説殺人事件


内田康夫さんが休筆宣言 未完の小説、完結編は公募で

「浅見光彦シリーズ」などで知られる作家、内田康夫さん(82)が、休筆宣言をした。2015年夏に脳梗塞(こうそく)に倒れ、小説執筆が難しくなったという。同シリーズとして毎日新聞夕刊に連載中に中断していた小説「孤道」は未完のまま刊行する一方、続編を公募して完結させることになった。


浅見光彦シリーズは大学時代によく読んでいた。
旅情ミステリー、いわゆる”ご当地モノ”だが、
作品が進むにつれて社会や地元行政に対する批判精神に富んだ筆致を強めていった。

そしてついに『日蓮伝説殺人事件』では
作品の舞台となった山梨県の名物であるほうとうをマズいと貶してしまう。

私は読んでいて「こんなこと書いて大丈夫かなあ」と思ったものだが
やはり大丈夫ではなかったようで、かなりの量の抗議が寄せられたそうだ。

ご当地モノとしては最大のタブーを犯してしまった。
本が現地で売れれば売れるほど抗議が殺到するというマゾヒズム。


当時はまだネットがない時代だったけど
今だったら大炎上で作家生命すら危うかったかもしれない。

それ以来、山梨名物ほうとう=マズイが頭にこびりついて離れなかったのだが
それはひらがな4文字でしかなく、現物を目にしたことは一度もなかった。



なるほど、これがあのマズいとされる”ほうとう”ですか・・・。



内田作品と言えば、やはり『天河伝説殺人事件』でしょうか。
本作の映画は、録画して何度も見ていた(今となっては記憶はおぼろげだが)。

角川映画-市川崑-岸恵子とくると

①悪魔の手毬唄(横溝正史・1977) → 殺人罪
②女王蜂(横溝正史・1978) → 殺人罪
③天河伝説殺人事件(内田康夫・1991) → 殺人罪

岸恵子が出演する全ての作品で殺人罪を犯している(女王蜂だけ少し違うものの)。
本作品でも軽快にコロシを重ねていく。

角川映画で岸恵子が出てきたら、「ああこの人、犯人だな」と思って間違いない。



田舎では少しばかりの娯楽も奪われてゆく

というわけで
田舎には娯楽というものがなかったのだが
それでも人間というものはちょっとしたことに娯楽を発見する能力を生来的に持っているようで
幼少時の僕も退屈な田舎生活の中で何とかして娯楽を見出すことに努めた。

まずは積み木だった。

田舎の家にいつからあったのかは知らないが
祖父が作ったものらしかった。

幼かった頃の僕はこれに無性にハマった。

この積み木、超おもしれえ!

普段、自宅で遊んでいたものよりも、ただピース数が多いというだけなのに
田舎で遊ぶ積み木は一味違ったようだ。
他にろくな娯楽がなかったせいだろうけど。

翌年の夏も積み木で遊べることを楽しみにして田舎にやって来たのだが
積み木が置いてあった棚に駆け付けたところ、あの積み木が見当たらなかった。

祖父に積み木をどうしたのか訊いてみると
「今年はもう来ないと思ったから囲炉裏で焼いてしまった」と。

僕が積み木遊びに夢中になっていた頃
オカンが祖父と言い争いになって
「来年はもう帰省しない!」と言ってしまったらしい。

囲炉裏の灰に消えた積み木・・・



母の実家は田舎だけどかつてはそれなりに裕福な農家だったようで
それは家の構えを見れば子供心にもわかるものがあった。

まず、タクシーで降り立った時から他の農家と違って
ちょっとした「堀」みたいなものが作ってあった。
農家のくせに。

その堀にはたくさんのが泳いでいた。
他に見るべきものもないから、この鯉の群れを眺めていた。
庭で捕まえたバッタをその群れの中に投じてみたり。

ところが、これまたある年の夏に帰省してみたら
鯉が一匹も見当たらなくなっていた。

どこかに隠れているのかと探してみたが
どこにも見当たらなかった。

祖父が言うには、ある晩、誰かが全ての鯉を盗んでいったんだと。
道端の堀で覆いをしているわけでもないから
その気になれば鯉を盗み去ってしまうのは簡単だ。

コイ泥棒にまた一つの娯楽を奪われてしまったのだ。



積み木も鯉も無くなってしまった。
退屈な田舎生活の中で
最後の頼みの綱が囲炉裏

動物は火を恐れるだけだが
人間は恐れつつもこれを利用することが出来る。
娯楽に用いたくなるのも人間としては自然な反応だろう。

田舎の家には一部屋に一囲炉裏ぐらいの勢いで囲炉裏があった。
今考えるとちょっと不思議にも思えるが、
夏でも囲炉裏で火を起こしていた。

祖父や叔父らが慣れた手つきでもって鉄の火箸で炭やら木々やらをつついて
最後に手前の灰の中に火箸をザクッと突き立てるのが子供心に妙に興奮した。

俺もやってみたい・・・

真似をして火箸を手に取って炭をつついてみる。
祖父はいつもにこやかに容認してくれていたのだが
たまに姿を現す叔父はそうはいかない。

晴れた日の雷のようにどやしつけられた。

囲炉裏と言えども火遊びするには早すぎる年齢だから仕方ないのだが
これで最後の娯楽も奪われてしまった。

折角見出した娯楽も次々に奪われていってもう退屈で退屈で、
滞在期間10日間の半ばを過ぎると
「いつ大阪に帰るのか」「早く大阪に帰りたい」とせっついては
今度はオカンにどやしつけられるのが毎年のパターンだった。


みんなが村を捨てて都会に出たがるのも僕にはよくわかる。


田舎には娯楽がない

民家に高1女子の遺体 事故死の男子大学生が事情知る?

10日午後9時50分ごろ、石川県能登町宇加塚(うかづか)の木造2階建て住宅で血を流して死亡している女性が見つかった。県警によると、女性は県立能登高校1年の池下未沙さん(16)=能登町=で、刃物のようなものによる傷が複数あったという。県警は殺人事件とみて捜査している。


殺害現場となった空き家は典型的な石川県の農家なんでしょうね。

祖父母世代までは能登町で農業をやっていたけど
親世代は農業を辞めて、より便利な金沢市内に移り住んでしまい
現場の家屋は空き家になっていた。
これも石川県農家によくある話。


うちの母方の実家もこんな風情の田舎農家だった。
今回事件の起こった能登町ではないけど。

子供の頃は毎年夏になると母に連れられて帰省していた。
これがまた”ド”か”超”がつくぐらいの田舎で・・・

3歳頃の記憶だろうか。
帰省した際に親戚の家で
当時流行っていたピンク・レディーの「UFO」のモノマネを姉と一緒に披露してやったら、
これが田舎の人たちに大いにウケた。



田舎には娯楽がないから
本当にピンク・レディーがやって来たと錯覚したんでしょうね。



今は知らないけど当時の石川県では
テレビのチャンネルがNHK含めて3つぐらいしかなかった。
民放の一チャンネルに色んなキー局の番組が、
放送時間も曜日も無茶苦茶にぶち込んであった。

こうなると、キー局と準キー局の一対一対応に慣れ育った身には
石川県では民放が機能していないも同然で
結局、NHKしか見るものがなくなってしまう。
だから田舎のテレビに映っていたのは高校野球しか記憶にない。

今ではネットもあるけど
当時最大の娯楽であるテレビがこんな体たらくだから
田舎には娯楽がないと断じざるを得ないのだ。
(※あくまで30年以上昔の話で、現在の石川県のテレビ事情ではありません。)



田舎には周辺に店らしきものは一軒もなかった。
農家と神社に田んぼ、田んぼ、田んぼ、山、山、山・・・

あとは、本当にバスが来るのかもわからない寂れたバス停が一つだけ。

幼いなりにここが俗世から隔絶された土地だということだけはよく理解していた。
たった一週間程度、田舎人として生きなければいけないと。

諦めの境地に似た感覚でそれなりに楽しんでいたんだけど
ある日、叔父に”町”まで車で連れていってもらって
そこでトーカマートというショッピングセンターを目にした時の感動ときたら。

こんな立派なスーパーあるんやったらはよ連れて来いよ・・・



あの時とても煌びやかに見えたトーカマートも潰れてしまって、
今は存在しないらしい。

やっぱり田舎には娯楽がない。

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