B型女優


これはずっとスルーし続けたら
O川さんの時のように
べーやんとたぶやんが結婚することになるのか?

気のせいかなあ。

これはO川さんと同じパターンなんですよね。

冗談でもそれをやったら、
O川さんみたいに破たんするでって話やんか。

べーやんはその頃、事務所のマネージャーに監禁されてたらしいから
その辺の事情や流れは知らないかもしれないけど。

懸念していたB型女優のイメージどおりの、
よろしくない気質が顔出したなって。
冗談でも両天秤にかけられるなんて同じB型の僕が一番嫌うこと。

周囲の誰かの入れ知恵でも
自分にはべーやんの行為としてしか受け止めようがないから。
それでなくても部外者がゴチャゴチャと介入してくることを望まないというのに。





おまけに体調よろしくないから
こんな曲かけても全然気分あがらへん・・・。

べーやんね、
夏以降、ブログへのアクセスがどんどん減って、
この2か月、一度もアクセスがないようだけど、
ちゃんと目に見える形でアクセスしてくれないと
こっちはブログ読んでもらってる気にならないから。


ちゃんとこちらがわかるようにアクセスしてくださいよ。
そうじゃないとべーやんが向き合ってる気にならない。

このままではO川さんと同じ結果になってしまう。

第2回 論語を読む

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論語  金谷 治訳注  岩波文庫


「論語」を読むと全てがいいとは思わないけど
なかなか穿ってるなと感心させられることがある。


子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た喜ばしからずや。
朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。
人知らずして慍(うら)みず、亦た君子ならずや。


「論語」の冒頭に登場する有名な一節。
国語の教科書にも掲載されていたと思うけど、
注目してしまうのは3つめの「人知らずして・・・」の部分。

他人が自分のことを分かってくれないからといって不満を抱くなと。

基本的にはそうだけど時と場合によっては限度もあって
「いや、孔先生そうは言ってもですね」なんてちょっと噛み付きたくなる気もする。

自分のことを一つを理解しようともせずに一方的に振り回そうだとか
さらには人を操縦しようなんてことされたら、
さすがにイラッとしてしまいますね。

初っ端から孔子様に口答えしてしまったけど、
この点に関して、孔子は次のようにも述べている。

子の曰わく、人の己れを知らざることを患えず、
人を知らざることを患う。


他人が自分を理解しないことを気にするのではなく、
自分が他人を理解していないことを気にしなさい、と。

いやしかしですね、孔先生。
現代社会にはストーカーやらヤバイ奴も多くてですね。

そうそう誰に対しても興味あるような素振り見せていたら、
犯罪に巻き込まれてしまうこともあるんです。

そしてその「知る」ということに関して。

子曰わく、由よ、汝にこれを知ることを教えんか。
これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。 
是れ知るなり。


知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとする。
これが知るということ。

偶然にもギリシャのソクラテスと似たようことを言っていますね。

時代はほぼ同時期ながら(孔子のほうが100年早い)、
ギリシャと中国という地理的な隔たりがあるのに。


『論語』を読む

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論語  金谷 治訳注  岩波文庫


ついに『論語』を読み始めた。
以前もちょこっとだけ読んでいたんだけど。

『論語』が成立したのは
孔子が亡くなってから200年近く経過した後、
紀元前200年頃、漢の時代のことらしい。

2200年に渡って読み継がれるだけあって、
これまでに数々の注釈書が生まれてきたけど、
中でも”古注”として知られるのが
漢・魏時代の注釈をまとめた『論語集解』で
著者は何晏(かあん)という人物らしい。

漢・魏時代・・・
何(か)という姓・・・

ピンと来られた方はなかなかの三国志マニアでしょう。

漢末の皇后の兄であり、
政治を壟断していた宦官たちの抹殺を図るも
返り討ちにあって殺された大将軍・何進(かしん)。

何晏はあの何進の孫にあたるという。
てっきり一族皆殺しにされたのかと思っていたら、
そうでもなかった。

何晏の母が曹操の妾になったことで
その連れ子として曹操によって養育されたという。

曹操も『孫子』の注釈を書いたことで知られるほど
戦術家としてだけでなく文人としても有名だし、
息子の曹丕や曹植らも教養人として文壇で知られたように
何晏も曹一族の文化的な雰囲気の中で育ったんですね。

後に何晏は政治家としても頭角を現し、
曹爽らと結託して一時は政敵である司馬懿を追い詰めるも
司馬懿のクーデターに遭って処刑された。

『正史・三国志』の魏書にも書かれている、
あの大事件に絡んで最期を迎えたんですね。

そんな何晏だが

相当なナルシストであったとされる。顔には常に白粉を粉飾し(本当に真っ白な肌だったとも)、手鏡を携帯し、自分の顔を見る度にそれに「うっとり」としていたという。歩く際にも、己の影の形を気にしつつ歩んだと伝えられている。また、夏侯玄や司馬師と親しくし、優れた評価を与える一方で、自分自身のことは神に等しい存在だと準えていたという(『魏氏春秋』)


曹家の御曹司らと変わらないように育てられた才人とくれば、
こんな性格になるのも仕方ないことかも。

いま、古代中国が熱い

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中国史(上)  宮崎 市定   (岩波文庫)


古代・中国に関心が湧いて読み始めた。

歴史というより歴史「学」的な話になるので
春秋戦国時代の記載なんかは極めて薄かった。

そのわりに漢時代の王莽による帝位簒奪なんかはきっちり扱っていたり、
知りたいことはあまり触れてない。

古代を中心とした通史的なところを
手軽かつやや深めに知りたければ何を読めばいいのやら・・・。


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小説 十八史略(一)  陳 舜臣   (講談社文庫)

高校生の頃に同級生の子が読んでいて
なかなかシブいもの読んでるなあと感心してしまい、
僕も読もうかなと思ったんだけど
当時は司馬遼太郎派だったもので
なぜか陳舜臣に抵抗感があって読まずじまいに・・・。

大学生になって『秘本三国志』を読んでみたけど面白いと思えず、
少し前に読んだ『チンギスハーンの一族』も晩年の作のせいか、
あまりテンポが良いと思えず・・・。

どうも陳舜臣とは縁がないようだ。


あの頃、読んでおけばよかったと後悔する1冊。
6分冊ですけど。

三国志を読む


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正史 三国志〈1〉魏書 1   ちくま学芸文庫


一般に知られている物語としての三国志は
明の時代に羅貫中(らかんちゅう)が書いた『三国志演義』を基にしている。

明の時代、つまり1300年頃に成立した歴史小説。

三国志演義の基になった『三国志』は
280年頃に陳寿(ちんじゅ)という人が書いた(編纂した)歴史書だ。

そしてその100年後ぐらいに裴松之(はいしょうし)が注釈をつけたものが
現在、読まれている『三国志』。

陳寿が三国志を著したのは時の晋朝の正統性を証明するためとされていて、
漢→魏→晋と”禅譲”(ぜんじょう)を通じて正しく成立したと主張している。

そのため、曹操以下の魏の皇帝たちだけでなく、

司馬懿→司馬宣王
司馬師→司馬景王
司馬昭→司馬文王

という具合に魏から政権を奪った司馬一族も最初から尊称で呼ばれている。
(肝心な司馬炎が諱呼びなのは三国志を書かせた本人だからか?)

吉川英治の「三国志」のように”死せる孔明、生ける仲達を走らす!”なんて終わり方で
司馬懿ってちょっとマヌケな印象を持たれた方も少なくないと思うけど
史実はかなり違うんですね。

演義モノでは大きく取り扱われなかった武将、文官がクローズアップされていたり、
なかなか面白い。

分量の多い注釈は陳寿が書いたものではないので
最初は読み飛ばしてもいいと思う。
(陳寿が書いた本文にも退屈な箇所もあるが)

久しぶりに読み返しているけど、
残念ながら僕は正史 三国志の1巻しか持ってない。

古本屋で安くキレイめの物を入手しようと何年か頑張ってみたけど
なかなか拾えない・・・。

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