記憶に残る女性たち~小学校時代編

小学校に入ると男子との付き合いが多くなるし
強いインパクトを記憶に残すのも男子になりがちだが
思い出に残る同級生の女子たちを何人かとりあげてみる。


①伊藤さん?
・・・伊東さんだったかもしれない。
小学一年時の同級生だった子で
小麦色の肌に茶色がかった髪、クリックリの目をした南国風美少女。
僕の趣味ではなかったけど、CASIOのお気に入りだった。

伊藤さんの記憶を語る前提として、CASIOについて語らなければならない。

小学一年時のクラスは全体に悪童が多かったけど
中でもモンスター級の逸材が2人いた。
以前このブログに書いたけど一人がYASAKAであり
もう一人がCASIOだった。

前者が小学一年生の衣を被ったチンピラならば、
後者CASIOは小学一年生の衣を被ったスケベオヤジだ。

ブヨブヨした体型でいつもニタニタと笑っていて
全てがしまりのない風貌・・・僕はどうもCASIOが苦手だった。

そんなCASIOに帰国子女なんて聞こえの良い言葉を使いたくないんだが、
インドネシアからの帰国子女だった。

熱帯の暑さであらゆるものを醸成しそうな南国で育ったCASIOには
日本の学校や日本人の女の子が珍しかったのかもしれない。
気分はインドネシアのまま、CASIOは南国で養われたエロパワーを教室内で存分に発揮した。
女子に対してスカートめくりに抱きつきにと、あらゆる痴漢行為をやりたい放題やってのけ、
女の子を見ればもう止まらないみたいだった。

気の毒なことに、そんなCASIOの大好物が伊藤さんだった。
そこは南国育ちのCASIOだから南国風美少女が好みだったのかも。
CASIOのターゲットにされた伊藤さんは気の毒なぐらいだったが
持ち前の気の強さでCASIOに抵抗していた。

しかし抵抗すればするほど怪物CASIOの欲望を駆り立てたみたいで
それはある日の体育のための着替えの際の出来事。

伊藤さんも体操着とブルマー姿(当時)に着替え終えた時だった。
CASIOが伊藤さんの背後に近づいていたことに伊藤さんは気づいてなかった。

CASIO、何する気やろ?

そう思った次の瞬間、
CASIOが背後から伊藤さんのブルマーを一気に足元まで引き下ろした。
いや、ブルマーだけでなくパンツまで引き下ろして
伊藤さんが丸見えになってしまったのだ!

一瞬何が起こったのかわからなかった伊藤さんも
すぐに事態を把握してブルマーとパンツを引き上げ、
怒りと恥ずかしさが一体になった表情でCASIOを睨みつける様子が忘れられない。

さすがのCASIOも下着まで下げるつもりは無かったようで
ニタニタしながらもどこか引きつった笑みだった。

その後まもなく、伊藤さんはどこかに転校していった。
CASIOもどこかに転校していった。
伊藤さんを追いかけて行った・・・わけではないと思う。


②Yさん
小学2年の時の同級生。
まだ小学2年で限界があったけど少しエロいことをし合っていた。
僕はYさんに興味もなかったし、
決してこちらから望んだわけでもなかったのだが
やられたからやり返すみたいな流れでおかしなことになっていった。
当時の僕もYさんには底なしの妖しさを感じていたから
席替えで離れることが出来てよかったと思った。

小学2年であれは絶対におかしい。
近親者にワイセツな叔父がいておかしなこと教えてたパターンじゃないか?
Yさんはロクなオトナになってないに違いない。

クラスの班みんなでYさんの家に遊びに行ったことがある。
家屋自体はそれほどでもないが
歩いているとまだ庭なのか何なのかわからなくなるほど
どこまで庭やねん!的に敷地が縦方向にやたら広かった。
(※現在は分譲住宅がぎっりしり建っている)
〇〇農園となっていたから、先日の空撮写真を眺めていて
位置的にもここら辺の元の地主だったのかも。

とにかく小学2年時点ですでに性的にかなりおかしな子だった。


③Yさん
エロい話題が続いておかしな地域だと思われるのは心外だから立て直そう。
いくら何でもCASIOとかYさんみたいなのは例外中の例外だ。

で、またYさんですけど(苗字は違う)、小学校3年時の同級生。
勉強から体育から、ユーモア、精神年齢、身長、そして口喧嘩も
何から何まで自分を一回り二回り、明らかに上回っていると感じさせる女子だった。

僕も小学校3年時の通信簿上はかなり出来る男子だったように記憶しているけど
その僕から見て絶対に敵わないと思えるような子で
女番長とは言わないけど女子のリーダーだった。
性格も強気で狡猾なところもあって、美人だけど近寄り難い、
下手したらこちらが泣かされかねない怖さがあった。

Yさんも同じ中学から同じ高校に進んだけど
僕は落ちこぼれてしまって学校では電源OFFにして生きていたから
誰がどのぐらいの成績かなんか全く興味がなかったし
小学生時代の自分を知られている気まずさや
小学校3年時に植えつけられた怖さみたいなのもあって
高校時分はYさんがどうなっているかにはちっとも関心がなかった。

同じ校内にいたのかも気にならなかったほどで
卒業アルバムを眺めていて理系クラスに写っているのを見つけて
やっぱりデキる子なんやろな~と思ったぐらい。

ネットで検索しても出てこないけど
きっとどこかで活躍してるんでしょうね。

小学3年時のみならず、小学校6年間を通してYさんが最強の女子だった。

記憶に残る女性たち~幼少期編

白い悪魔に異性に対する回路をショートさせられるまでは
普通に女子と関わろうとするタイプだった・・・そんな過去は自分でも信じられないぐらいだ。
多分、記憶のねつ造ではないと思う。

家庭内の折り合いがあまり良くなく、
母・姉・僕という家庭内(母子)家庭で育ったせいか
幼少時は近所の男子とも遊ぶけど、女子ともよく遊んでいた。

小学校に入ると交友関係の広がりも内容もガラッと変わって
さすがに女子と遊ぶことは無くなったけど。

そんな幼少時、近所に住んでいた女の子たちの中から特に記憶に残る子たちを・・・。

①リカちゃん
有名なあのリカちゃんとは違うけど、本当にリカちゃんだった。
当時は周囲の女の子の中でもリカちゃんが好きでしたね。

近所の男の子が遊びに誘いに来た時、
リカちゃんと遊ぶ予定があるからと断ると
その子(2歳年上)は半泣きになって帰って行った。
それぐらい、僕にとってリカちゃんは何より優先的な存在だった。

しかし、リカちゃんのほうは僕にほとんど何の関心も抱いてなかった。
友達としての関心も薄いもので、それは当時から感じていた。

リカちゃんとは同い年で小学校一年では同じクラスだったし
その後も英会話教室で一緒だったりしたんだけど
その頃には僕のほうも関心が薄れていって、特に話しかけることもなかった。

でも白い悪魔が出てこなければ、
中学が終わる頃まで少しは意識し続けたかも。

リカちゃんは小学校に上がる頃に同じ学区内の別の場所に引っ越していった。
昔、リカちゃんが住んでいた家-リカちゃんハウス-が最近ようやく取り壊されて
新しい家が建っている。


②コノミちゃん
リカちゃん以上によく遊んでいたのがコノミちゃんだった。
コノミちゃんは中身が男子みたいな子で遊びやすかったこともあって
いつも一緒にウルトラマンの人形やゲームウォッチで遊んでいた。

コノミちゃんがダイアクロンのロボットベースを出してきた時には感動した。

diaclone_1.jpg

コノミちゃんやるなあ、おっとこ前やなあって。

コノミちゃんとは幼稚園も一緒に通ったり
一緒に写っている写真も結構あるんだけど
僕としては女の子というより男の子感覚で遊べる子だった。


③ユカちゃん(仮称)
僕はユカちゃんという名前で憶えているから
ユカちゃん(仮称)で話を進めさせていただきます。

名前も年齢も記憶が定かではなかったのは
それほど遊んだこともなかったからだろう。

一度、ユカちゃん(仮称)の家に遊びの誘いに行ったら
かつての松田聖子が着そうなブリブリでフリフリの真っ白なドレスみたいなのを出て来て
子供心にドン引きしたのを覚えている。
・・・というかそれしか記憶にないのだ。

ユカちゃん(仮称)についてはうちのオカンのほうがよく覚えていて
お父さんは大阪音大だかの講師だったらしい。
なるほど、お父様の趣味であんな恰好だったのか・・・。

何故、オカンがユカちゃん(仮称)の話をしたかというと
あのユカちゃん(仮称)がテレビに出ているのを見たことが発端だった。

ネットで調べてみると
確かに少し前に関西ローカルだけどタレントぽいことをやっていたみたい。
オカン、よう気づいたな(笑)

それにしても、あのユカちゃん(仮称)がねえ・・・

ん?ユカちゃんじゃない!?
名前違ったか。苗字は覚えてるけど。

オカンは名前と顔でわかったというが
僕はユカちゃん(仮称)に関してはブリブリのフリフリしか覚えてないもので・・・。

あの日に帰りたい?


地理@沼津高専

↑のサイトで地域の古い空撮写真を見られることを知った。

自分が育った街の変遷を、新たな発見と記憶とともに綴ってみる。


■1963年
1963.jpg

1963年の空撮だとモノクロで分かりにくい。
中央から下に向かって丘陵地を登っていくことになる。

それにしても池と田畑ばかりでなさらわかりにくい・・・。
一つも興味の持ちようがない画像なのだが、参考までに。

■1975年
1975(1).jpg

①が実家のある地域で1970年代から団地が作られた。
僕が生まれた頃にこちらに引っ越して来たのでどこかに写っているかも。
③は丘陵の頂点付近に建つ大きな病院で当地のランドマーク的な存在だが、
この頃からあったんだな、と。
この病院と学校にまつわる七不思議が小学校時代にはまことしやかに語られていた。
4つか5つまでは共通してるけど、
残り2つぐらいは語り手によってバラバラという雑な七不思議・・・。

何と言っても驚きは②の某宗教団体の施設。
1975年時点ですでにここに存在したのには驚きだ。
オウム真理教みたいな反社会的な団体ではありませんが
山の中にポツンと佇む宗教施設・・・怪しいですね・・・。

この1975年と次の80年の空撮写真が自分にとってすごくレアで新鮮味のある画像。


■1980年(79年?)
1980.jpg

ようやくキレイな空撮写真になってこれだとわかりやすい。
わかりやすさは見ての通り、”山”が切り開かれて宅地造成が始まっているからでもある。
中央に位置している母校の小学校も、校舎が既に完成している。
中学校どころか幼稚園もまだありませんが。
この後1、2年程度で幼稚園・学校がほぼ同時に開設されたと思う。

この頃、4,5歳ぐらいだけど、近所の子たちとこの造成地に遊びに行って
帰りに迷子になりかけたことがある。
家に着いた時はもう午後8時近くで、オカンに激怒された。
上空からの空撮だと一直線で行けそうに見えるけど・・・そう簡単な話ではなかった。


■1985年
1985(1).jpg

1985年、小学校3年生の頃だが、現在に通じる街の形はほぼ出来上がってますね。
80年の画像と見比べると、小学校の校舎もすでに増設されているのが確認できる。
当時はまだ”山”っぽさは残っていたけど。

①が中学校で、宗教施設のそばの②が幼稚園。
当時は丘陵を上に登っていくほど裕福な家が立ち並ぶ印象があって
この新たに開発された〇〇台で家を買うと6000万ぐらいだと
当時の教師が授業中に話していた記憶がある。

③の地域が貯水タンクが備えられた最も高所にあるエリアで
さらに裕福な人々が住むイメージがあった。
”白い悪魔”がこの辺に棲息していることは知っていて、
グリーンスリーブスの曲名を自然に即答したことから
「さてはええとこの子やな」と裕福な家庭コンプを刺激されたわけです。


■2017年
2017.jpg

現在のグーグルマップになりますが
85年頃に残っていた鬱蒼とした雑木林もほとんど消えてしまっている。
ついでに周辺の田んぼも無くなっている。

中学校のそばにあった田畑も宅地に変わっていて
こんなところまで住宅が建て込んでいいのか?って変な気がするぐらい。


空撮写真で振り返るわが街の変遷、いかがだったでしょうか?

それではお別れはこちらの曲で。




プロフィール

E

Author:E
数年勤めた会社を辞めて、某資格受験生活に入るも挫折したまま三十路をいくつか超えた無職。いい加減何とかしたいが、まだ何とかなると余裕があったりで、資格の勉強+ケータイ無しの直感のみでせどりする日々。あくまで、息抜き・趣味・リハビリとしてのセドリなので、売上はショボいです。

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